本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1919(大正8) 年7月1日

 七月一日 火 半晴 午前十一時頃大村氏ヘ電話ニテ小林 長原 中村ノ三氏ニ関スル件ニ付校長ト打合セタル結果ヲ告グ 夜和田三造氏来談 本日ハ平和克復ノ祝日トシテ観兵式挙行セラレ官庁ハ休暇トナル

1919(大正8) 年7月2日

 七月二日 水 雨 離宮新築敷地検分ニ付午後一時半迄ニ宮内省ニ出頭ス可キ旨予テ通牒ニ接シ居タレバ一時前調度ヘ赴ク 然ルニ生憎此頃ヨリ雨降リ出テ遂ニ延期トナレリ 帰宅後二時頃ヨリ照子ヲ手伝トシテ油絵ノ洗ヒ方ヲ始メ仏大使館所属ノ風景画ト自作ノ逍遥図ノ二面ノ為メ二時間余ヲ費セリ 夕刻内田矩吉作品ヲ持参ス 夜草光来リテ成績品ヲ来ル六日学士会ニ陳列スル由ヲ語リ岡ハ研究所ノ会計報告ヲナシ後亦仲君モ見エタリ

1919(大正8) 年7月3日

 七月三日 木 雨 流逸荘ニ於ケル仏人 Delécluse 氏父子ノ作品展覧会ヲ観テ四時半南部伯爵邸ニ小笠原伯ト会合シ華族美術ノ展覧会開催ニ就キ相談ヲ受ケタリ 七時頃辞去

1919(大正8) 年7月4日

 七月四日 金 雨 午後一時調度ニ到リ同三十分頃渡邊式部官及内匠ノ連中ト自動車ニテ霞ケ関ヘ赴キ四時半頃迄調査ヲナス 本日ニテ大体ハ済ミ帰リニモ亦自動車ニテ送リ還サレタリ 又突然鵜木健彦君入来

1919(大正8) 年7月5日

 七月五日 土 晴 約束ニ依リ午後二時頃野村傳四郎君来リタレバ国美協会トノ縁切レノ事ヲ告グ 又同君ヨリハ定款改正ニ付テ決定上ノ意見ヲ聴キタリ 四時頃研究所ヘ赴ケリ 出品点数モ出席者モ多数ニテ愉快ナリ 出席者六十余名 出品百十余点 (欄外 葵橋研究所互評会)

1919(大正8) 年7月6日

 七月六日 日 雨 訪客 午前ニ漆間女史 午後ニ大迫經安 菅村兄弟 渡邊孝 櫻井知道ノ諸氏計六名 仏大使館ヘ磯谷ニ托シテ油絵ヲ返送ス 訪客ノ応接ヲ了リテ後チ逍遥図ノ修復ヲ試ム 夜知足ハ研究所互評会ノ記念冊子印刷ノ計画ヲ語レリ

1919(大正8) 年7月7日

 七月七日 月 雨 八時仏大使館ノ晩餐会ニ出席ス 近頃来朝ノ里昂大学総長等ノ一行ト婦人四五名 又日本人側ニテハ文相 東京帝大総長等ニテ日仏併セテ総人数十五六名ナリシ 十時過辞去ス

1919(大正8) 年7月8日

 七月八日 火 晴 午後一時半霞関ニ出頭ス 本日ハ玄関内改造ニ付話合ヒ次回迄ニ確実ナル図ヲ調製セシム可ク又本会議ニ提出スルニ先チ工事ノ順序ヲ決定スルヲ要スル等ノ事ヲ取極メタリ 三時過還リノ自動車ニテ宮内省ヘ赴キ御写真部ニ立寄リ焼付ノ模様ヲ聴取ス 而シテ図ラズ御下賜ノ御万那料(御成年式献上品ニ対シ)ヲ拝受セリ

1919(大正8) 年7月11日

 七月十一日 金 晴 学年末教員会議ニ付午前九時登校ス 了リテ久米 藤島 岡田 和田ノ四氏ト精養軒ニテ午食ヲ取ル 夜左記ノ諸氏来訪 佐成謙太郎 仲省吾 杉浦 中澤 森脇 報知記者桑田實 磯谷ノ佐藤

1919(大正8) 年7月14日

 七月十四日 月 晴 訪客 渡邊 宮島 小室 荻原 仲 平田 荻原氏ヨリ旧作ノ写真数葉ヲ受ク 同氏ノ知己某未亡人種板ヲ所蔵セル由ナリ 何ノ故ニ又如何ナル場合ニ写シタルモノナルカ

1919(大正8) 年7月15日

 七月十五日 火 小笠原伯ヲ訪問シリーチ氏ノ窯ニ関スル交渉ノ顛末ヲ語リ自分ノ見込ヲモ述ベ終リテ参考ノ為庭内ノ各所ヲ巡覧ス 結局一ト先笄邸ヲ使用スルコトニ談合セリ 午後一時頃大給子爵夫人 尹ヲ連レテ来ラレ尹ノ中学教育ニ就テ相談アリタリ

1919(大正8) 年7月16日

 七月十六日 水 晴 九時頃電話ニテ起サル 黒田違ニテ迷惑セリ 女子学習院ノ石原氏手当ヲ持参シ十一時頃ヨリ一時間許建築談ヲナス 宮島君ノ下絵ヲ観ル 本田君ヘ礼物ヲ贈ル 板垣伯今朝薨去ニ付玄関迄悔ヲ申入ル 渡邊子爵ヨリ電話ニテ入会ノ事一昨日決定セル由 併シ通知ハ九月頃ナラント云フ

1919(大正8) 年7月18日

 七月十八日 金 晴 暑ノ為ニカ予定ノ如ク書籍ノ整理ニ着手スルコト叶ハズ 画室ニ入リテ画題ノ選定ヲ試ミタレドモ是モ亦成ラズ 僅ニ表紙ノ図案ヲ一枚作リタルノミ 仲君 リーチ氏等ト笄邸内ノ敷地ヲ検分セシ由ナリ 但リーチ氏ノ外警視庁ノ官吏モ同行セリト聞ケリ (欄外 互評会記録表紙図案)

1919(大正8) 年7月19日

 七月十九日 土 驟雨 考案中ノ画題ヲ漸ク思ヒ付キタレバ表紙ノ図案ト共ニ画題ヲモ岡ヘ渡ス 夕刻リーチ氏 仲氏同道来訪 半時間許語ル 今回ノ窯移転ノ礼トシテ来レルナリ 国民美術協会有志ノ発起ニテ佐藤功一 大熊喜邦二君ノ博士号ヲ受ケラレタルヲ要スル為メ燕楽軒ニ於テ晩餐会ノ催アリ出席セリ 又佐藤君ノ発見ニ係ル陶器二点ヲ今夜ノ記念トシテ購ヒ帰ル(因ニ佐藤君ノミ出席) 鵜木健彦君ヨリ書状及鹿児島新聞到達ス (欄外 国美会員博士号祝賀晩餐)

1919(大正8) 年7月20日

 七月二十日 日 晴 岡常次ノ義兄岡暢ト云ヘル人午前十一時半頃来訪 青森ノ大林区署ニ奉職シ居ル由ニテ山林ニ関シ面白キ談話ヲ聴キタリ (欄外 板垣伯午前青木文造氏午後葬儀)

1919(大正8) 年7月22日

 七月二十二日 火 訪客 中井 谷口 相良 清水良雄 諌早某 午前十時ヨリ霞関離宮設備調査報告会開カレ式部長官モ出席セラル 評議ノ末今一応特別委員ニテ実施期限等ヲ確定スル事トナリ午砲後散会ス 谷口君ハ明後日帰省ノ筈

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