1904(明治37) 年6月28日

午後野田会計より来状、京都工芸学校より模型品全部破損の照会文同封せり。大に驚き早速学校に飛行き校長に面会相談した。兎に角破損の程度を問合せる事とし会計では長岡に荷造り責任の件談判する事にした。此夜佐野を尋ねたるも不在後浅井へ書状を出す。

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