1904(明治37) 年6月2日

学校講義後校長より規則改正案の相談を受ける。夜高島がやつて来て小父さんを迎にやつたが床屋に行くからといつて来なかつた。何しろ毎晩続くには閉口千万な訳さ、今夜も十二時近くまでやつたが九時頃に榎坂田中の小母さんに踏み込まれて大狼狽であつた。十郎の海軍兵学校保証判の用向であつた。

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