1904(明治37) 年6月19日

日曜なれど仕方がない。午前は考古学問題を調べた。明日試験の用意をなす。午後誰れか来そふだから早目に入浴せんと思ふて居る内に小林万吾がやつて来た。例の借金に四十入金した中学の話などやつて居る処へ佐野が浴衣着かなんかではいつて来て戦争談がはじまり、上村のぼんやりに対する人情は誰れも同一である。二時過になつて万吾が帰るというので送つて出ると丁度三河台と団洲翁とがはいつてくるといふ次第で大分振やかになる。夕方になると菊地も見へた。今夜は大和田の丼をあつらへた。全局の結果は佐野が独りで景気づいて居る。あんまりつまらないから十時過になつてやめた。

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