1904(明治37) 年6月10日

昨夜新茶にうかされて不眠。今朝六時前に起き散歩をしたが一向気分が直らない。午後一時小魔を引張つて大森辺を歩す。先づ例のお道順で公園を通り、大門まで達するや、かれは暑さに閉口してもはやあるけぬと泣き言をいつたが無理やりに電車に登せ、品川から更に京浜電鉄に転じて蒲田まで快走す。此間三十分かゝらなかつた。目的地は同地の菖蒲園であつて大変に廻り路をして〓田神社と記された鎮守の社の側を過きて同園に著す。中々広々とした立派なところで態々出掛けて来る価値は充分にある。此間の堀切の日〔比〕にあらず。しかも花は今や満開の有様で何十種といふ変化のある紫花の咲き乱れて、其間に水流を通じたのは中々趣きがある。併し世人に多く知られぬためか割り合に静かである。水辺に臨みたる芦簀張りの休み処に上りて握り鮨を注文し一時間余り休んだ。隣には町住ひの二人の媼さん連が来て頻りに賞看して居た。四時頃にこゝを出て再ひ電車に乗り穴守へ行つた。此頃は以前の如く流行しないためか極めて索寞として多数の明き家がある。是は戦争のみの影響とは思へない。渡し場には橋が架けられた。両側の茶屋よりはうるさく呼び声をかけるのでいやにならせる。社殿の処までいつて早々に引返し元の電車に乗りて品川まで一ト走り(品川にて岫巌及賽馬集占領の号外を買った)。六時頃に達し、夫から新橋まで東京電車でやつて来たが不漁の故かお定りの二軒共に休業で大失望、是非なく大門へ戻り人力を値切り倒して長坂へかけつけたが幸ひ門があいて居たので助かる。八時に帰宅してみるともふちやんと上り込んでやつて居る連中は小石川に大人小父さんで十二時半に及んだ。

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