1904(明治37) 年6月19日 Sunday


六月十九日 曇

日曜なれど仕方がない。午前は考古学問題を調べた。明日試験の用意をなす。午後誰れか来そふだから早目に入浴せんと思ふて居る内に小林万吾がやつて来た。例の借金に四十入金した中学の話などやつて居る処へ佐野が浴衣着かなんかではいつて来て戦争談がはじまり、上村のぼんやりに対する人情は誰れも同一である。二時過になつて万吾が帰るというので送つて出ると丁度三河台と団洲翁とがはいつてくるといふ次第で大分振やかになる。夕方になると菊地も見へた。今夜は大和田の丼をあつらへた。全局の結果は佐野が独りで景気づいて居る。あんまりつまらないから十時過になつてやめた。

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「1904/06/19 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871491.html(閲覧日 2024-05-10)

同日の「黒田清輝日記」より
 六月十九日 日 半晴 暑
 本日ハ御尿量少シク減ジ御体温七度七分ニ上ル 然シ御気分ハ前日ニ異ナラズトノ事 軽快ニ乗ジテ少シク体ヲ動カシ過ギル等ノ軽挙有リシニ非ザルカ 兎モ角心配也 午前中合田ト語リ午後亦合田来リ共ニ庭前ニテ写真撮リヲナシ四時頃ヨリ同氏ト溜池生巧館ヘ出掛ケ写真ノ現象ヲナス 先日ヨリ写シタルモノハ一トシテ好果ヲ収ムル事能ハザリシガ本日分四枚共成功セリ 夜分モ亦合田来リ十一時マデ語リタリ 午後三時頃堀江君紹介ノ高木某来訪
 (受信) 田中遜君戦地ヨリ端書ヲ贈与セラル 寺崎氏ノ画有リ 又下山ヨリ入営ノ報知有リ
六月十九日 日 半晴 暑