本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1900(明治33) 年7月5日

 七月五日 (欧洲出張日記) 今朝九時二十分の急行で青山 恒藤 鴨下 飯塚 岡崎の五氏が里昂へ立つ 此の諸氏を送つて停車場ニ行き夫れから名誉領事 Sérène 氏をを訪問したが不在で其代理人から紹介状を貰つて領事館員を案内に連れて美術学校を見ニ行く 幸校長が居て面会し又一寸コンクールの結果の判決をやりかけて居るから一緒に見ないかと云ふので其れを見た 大ニ利益した 昼めしニ宿屋に帰り二時半頃から又美術学校を見ニ行た 今度は各教場を見た 夕方散歩して居た時エイマール兄弟とフアルブルの娘達に出遇ひ彼の人達の泊つている Hôtel de Genève まで行て帰つた 町の一度分三仏といふめしやで一人でめしを食ひ 佐藤君と二人で町の中をあちこち散歩した とうとう仕舞に同船の人ニ二三人出遇つた 其内ニ舟万と云ふ名をつけた女とセンセン婆々といふ奴とにも出遇つた 舟万はとうとう舟の事務長の次の奴と連れに為つた センセンと佐野君とニ別れてオレは事務副長等と珈琲ニ腰をかけて麦酒などのんだ

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