1920(大正9) 年2月1日
二月一日 日 曇 星製薬会社宛約束ノ夏ノ庭ノ図ヲ送ル 御遺品及ビ書類ノ調査ヲ始メ黒エナメル箱ヲ整理ス 照子水天宮ヘ参詣ス 夜仲氏ヨリ中村ノ容態ニ関シ度々電話アリ 渡辺氏ハ近所ノ宮島方ヘ往診中ト聞キ知足ヲ遣ハシタレドモ君悶ヘテ不叶 尤モ最後ニ病人落着キタリトノ事ニテ安堵セリ
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
二月一日 日 曇 星製薬会社宛約束ノ夏ノ庭ノ図ヲ送ル 御遺品及ビ書類ノ調査ヲ始メ黒エナメル箱ヲ整理ス 照子水天宮ヘ参詣ス 夜仲氏ヨリ中村ノ容態ニ関シ度々電話アリ 渡辺氏ハ近所ノ宮島方ヘ往診中ト聞キ知足ヲ遣ハシタレドモ君悶ヘテ不叶 尤モ最後ニ病人落着キタリトノ事ニテ安堵セリ
二月二日 月 雨 夜半霽 画室内ノ書机ノ抽匣ヲ整理シ分類セル文書ヲ万覚帳ニ記入ス (欄外 文相官舎帝国美術院会議 書類調査第二日)
二月三日 火 曇 (欄外 立太子礼後饗宴賜杯 御礼参内)
二月四日 水 曇 父上様御履歴書ノ整理ト鹿児島行ニ要スル書類取纏メノ目的ヲ以テ去ル一日ニ着手セル調査ノ第三回トシテ画室内乾部ノ五分ノ二許ヲ片附ケタリ 光治ニ節分ノ豆撒ヲナサシム
二月五日 木 雨 午時過小川君入来 美術学校写真科ト同科ノ教員其他ノ件ニ就キ一時半頃マデ語ル 漸ク二時半霞ケ関ニ到ル 本日ハ式部長官及ビ西園寺式部官来観 後チ三時過ヨリ各室ニ亘リ評議ス 壁紙天井ノ金色 大食堂ノアーチ 階段ノ窓硝子 大名行列人形陳列棚 油絵額ノ配置等ナリ 晩食後ハウス大佐ヲ読ミ了リテ先ヅ万覚ニ少シク朱書ヲ加ヘ後チ昨日取リ乱シタル雑誌写真ノ類ヲザツト始末セリ
二月六日 金 薄日 登校 授業 待合セ居タル岡四郎氏ヘ新任務ノ主要条件ヲ告グ 亦諸氏トモ午後二時頃迄語レリ 帰邸後小室氏 星啓二氏 渡邊氏ノ順ニ面会シ間モナク夜ニ入ル 八時頃ヨリ流逸荘ナル国民美術協会ノ評議会ニ出席ス 展覧会ノ規則入会者ノ銓衡其他二三件ヲ決議シ十一時半ニ至ル 中村不折君ヨリ開通褒斜道碑ノ有無ニ付通知アリ
二月七日 土 薄日 作品二点 雪景摂津二宮伊藤保平氏宛 海辺図須磨羽室蒼治氏宛 何レモ今夜磯谷ヘ渡ス 明日客車便ニテ発送ノ筈ナリ 例ノ如ク知足ニ鵜木氏ヘ手紙ヲ代筆セシム 午後仲氏玄関迄来リ一寸中勝君ノ事ヲ語リテ去ル 取込中ニ念ノ入タル次第ナリ
二月八日 日 雪 終日雪フル 四五寸許積リタルガ如シ 梶山氏ヲ招キ例ノ九星子ニ関シ聴ク所アリ 晩食後画室内ノ支那鞄ヲ取出シ調査ニ掛ラントシテ渡辺氏来訪ニ接ス 同氏ヨリ中勝君ノ経過ニ付委シク説明的報告アリ 其要領ハ吉本博士ノ診察ノ結果更ニ本日三宅博士ニ診察ヲ請ヒタルニ脳症進行ノ状アリ入院ヲ可トストノ事也 今回モ仲氏同道セリ
二月九日 月 晴 学校ヨリ電話アリ 直チニ自動車ヲ命ジ十二時過登校 勲章ヲ拝受スル 後チ校長ト語リ二時頃退出ス 梶山氏来合ハセ中村ノ為ニ九星的精神療法ニ付談合ス 松方幸次郎君予告通リ三時来訪 仏国ノ諸大家ト売買ヲ約セル作品ノ目録ヲ示サレ且ツ四時半迄画談 遂ニ午食ノ暇無ク五時一碗ノ飯ヲ食シ暫時書類調査ニ従事セリ 久我貞三郎君亜非利加 支那 アイノ等ノ土産物持参
二月十日 火 晴 仲氏 大館氏 中村順子 漆間改メ高橋夫人右四名ノ訪客ト御写真修整上ノ問題位ニテ日ヲ暮ラス 仲氏ハ中村君ノ入院其他ノ処置ニ対スル当方ノ意見ヲ告グ
二月十一日 水 晴 風アリ 参拝参賀 終リテ調度寮ニ寄リ暫時寮頭ト語リ十二時前帰邸ス 渡辺氏来ル 中村順子殿ヨリ聞取リタル話ノ大要ヲ告ゲ更ニ今後ノ治療ヲ依頼ス 奧田氏ノ日本ノ陶磁器ヲ読ム 五時二十分三宅君ヲ東京駅ニ送リ坂井 菊地ノ二氏ヲ誘ヒ駅内ノ精養軒ニテ晩食ヲ取ル 此処ニ約一時間ヲ費セリ 律子嬢ヨリ招待セラレマダム・サンジエーヌヲ見物ス 仏大使 同書記官 フオール大佐外一名 曾我 渡邊子 溝口伯 榎本子等ト同席 又一羊 久良岐ノ諸氏ニ遇ヘリ(薄氏ノ紹介ニテ始メテ益田太郎氏ヲ知ル)
二月十二日 木 晴 渡邊直達君ノ為メ電話ヲ以テ更ニ油土購入ノ件ヲ高村翁ニ依頼ス(一貫目ノ代金十五円也ト云フ) 午後二時霞関ニ出頭シ四時半退出ス 本日ハ飾棚図案 籐椅子図案 食堂内ノアーチ 階上ノ広間ナルフリーズノ金色 階段ノ窓硝子ニクリムノ絹布ヲ張ル 第三期分新館階段ノ位置変更ニ関スル修正案及ビ第三期中ニスチームノ設備ヲ断行スル事等ヲ議決セリ 但シ額ノ配列ニ要スル装飾品ノ検分ハ手順未ダ整ハズ 又第三期ノ改築設計ハ前記ノ外ニ尚ホ考慮スベキ点アリ 夜竹内師水氏ノ観相講義ヲ読ム
二月十三日 金 晴 午前十一時過ヨリ御写真部ニ到リ本日出来ノ東宮殿下(焼増)及ビ淳宮殿下(一部加筆)臨時御用分ヲ取纏メ寮頭ニ提出シ午後一時帰宅ス 三時頃ヨリ知足ヲ相手ニ女子学習院用ノ西洋今古風俗掛図ノ解説ヲ調査シ之レヲ図ノ背面ニ記載ス 此仕事ハ案外手間取リ漸ク七時ニ結了セリ 知足明日退邸ニ付照子ノ手料理ニテ送別ノ宴ヲ張ル 相伴トシテ常次ヲ招ク 食後ノ余興ニハ例ノ蓄音機ヲ回ハシ午前一時ニ及ブ 今夜又黒枠到達ス 祖山鐘三君去八日午前一時胃腸病ニテ逝去セラレタリト 追懐或ハ読書 四時半マデハ眠ラズ
二月十四日 土 晴 五時頃知足退邸ス 餞別トシテ Trois Cents 円を与フ 幾ンド同時ニ仲氏入来 晩餐ヲ共ニス 本日同氏方ヘ壽助来訪セル由也 中村ノ移転料四十円ヲ渡ス(篠田払)
二月十五日 日 雪 起出ヅレバ満庭雪ナリ 又終日雪フル 併シ寒サハ佐程ニモ非ズ 川路利恭君夫人ノ告別式駒込林町ノ邸ニテ執行セラル 午前十一時過ヨリ自動車ニテ出向キ直ニ引返シテ更ニ築地本願寺内正法寺ニテ執行ノ祖山鐘三君ノ葬儀ヘ赴ケリ 病気ハ食道癌ナリシト云フ 年五十一 惜ム可シ 二時帰宅ス 夕刻樹枝ノ雪ヲ写ス(板寸) 夜講談本ヲ読ム 本日警察講習所教授笠井英一氏 故三好氏ノフロツク及ビカラーノ類ヲ持参セラル 肖像画用也
二月十六日 月 晴 小室氏来リ木蓮ト牡丹ヲ生ク(午前) 以下ハ午後照子徳子 殿同伴帝劇見物 薄氏ヨリ切符ヲ寄送セラレタレバナリ 林下ノ残雪ヲ写ス(板寸) 仲氏リーチ作ノクリユツシユ一個ヲ売品トシテ持参シ又太田氏方ヘ出向キタル趣ヲ語レリ 栗山清太郎モ見ユ 同人ノ画会ニ賛助員タルコトヲ承諾ス
二月十七日 火 晴 午前十一時小川君ト御写真部ニ会合シ共ニ楓山御撮影場ニ到リ場内ノ備品補足ト一部改造ノ希望等ニ付調査ヲ為シ之ヲ伊東事務官ニ報告シ午後四時過退出ス 五時頃ヨリ昨日ノ残雪ニ加筆ス 製作中渡邊氏来ル 後チ写生ニ来リタル森岡氏ト少時談話セリ
二月十八日 水 午前曇 午後雨 夜霽 午後三時ヨリ照子同道俥ニテ笄邸ヘ赴ク 御霊前参拝 又序ニ中村君ヲ見舞フ 丁度渡辺氏診察中ナリ 仲縫子殿ト菊地鑄太郎君モ来レリ 一時間許ニテ辞去ス 二荒伯ノ著書「改造物語」今朝受領ス
二月十九日 木 曇 二時頃霞関ニ到ル 臨時修繕ヲ要スル新館寝室及応接室ノ装飾ニ付決議ヲ為シ第三期ニ属スル客室壁面 食堂ノ天井トアーチ 新館内階段ノ設計ヲ批評ス 又四時頃調度頭及ビ事務官来リ一同不要扁額ヲ検分シテ退出ス 寮頭ノ自動車ニ同乗シテ帰ル 間モ無ク榎本子爵ヨリ電話アリ 直ニ研究会事務所ヘ赴ク 青木 牧野二子モ同席ニテ補欠選挙ノ候補ノ事本日協議整ヒタル由而メ是レヨリ予選ヲ経テ本選挙ニ至マデト之レニ関連セル慣例等ヲ内示セラル 後榎本氏ニ導カレ牧野子ト三人連ニテ築地三丁目蜻蛉ニ於テ晩食ヲ取リ十時過帰途ニ就ケリ
二月二十日 金 曇 往訪 青木子爵 小田川氏 小笠原伯爵 水野子爵 正木氏 自動車ニテ四時頃家ヲ出五時半帰ル 正木氏ヘハリーチ氏作古英国型ノ酒瓶ヲ贈ル 電話 千田男爵夫人ヘ油絵ノ件 岡田君ヨリ同氏受持ノ生徒ヘ競技期日ノ延長ヲ許可スルノ件