1891(明治24) 年1月30日


 一月三十日附 グレー発信 父宛 封書
 (前略)国会議事堂丸焼けニ相成候様先日当地之新聞ニ見ヘ申候 立派ナ議論をして世間の人を一番驚かして呉れんなど思ひ居し人達ハ随分閉口致し候事と奉存候 当地此の一週間程前より気候急ニ変り只今のところにてハ外ニて画をかき候ても余り寒さを覚エ不申候 つよき寒さのあと故少しの暖きも余程うれしく感申候事ニ御座候 二三日の内ニ学資金受取旁巴里へ出で来月中ハ学校にて勉強仕三月ニ相成候ハバ又々此の田舍ニ参り共進会への画の仕上ニ専ら力を盡す考ニ御座候
 今度御送り被下候金子にて額ぶちの買入れ方など可仕候 額ぶちは殊の外金高な者にて少し見るニ足る程のものは三尺四方位にて百四五十仏ハ掛り候と申事ニ御座候 私二つ程入用ニ御座候間三百仏程ハ丸で此の方ニ取られ可申閉口の至ニ御座候(後略)
 父上様  清輝拝