本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年2月5日

 二月五日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)つぎニわたくしことハいつもながらだいげんきニて四五日まへニぱりすへかへつてまいりましてこのごろハまいにちがくこうでべんきよういたしてをりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし まづこんげつぢゆうハこゝにをりましてそれからまたいなかのほうニいこうとおもつてをります くめさんもこんげつのすへごろニどこかのいなかニいこうとかゆつてをりますからわるくしたらわたしもくめさんといつしよニをなじところニいくかもしれません けれどもらいげつどうしてもゑのはくらんくわいニだすゑをかきとらなければなりませんからやつぱりいまゝでをつたところニかへつていかなければなりませんよ(後略) 母上様  新太拝

1891(明治24) 年2月13日

 二月十三日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたしハまたいなかニまいりました ゑのはくらんくわいニだすゑをせつかくかいてをります どうしてもこうしてもらいげつの十日か十五日ごろまでニかいてしまハなけれバなりませんよ こんどハまづこれだけニいたしてをきませうよ めでたくかしく 母上様  新太拝

1891(明治24) 年2月20日

 二月二十日附 グレー発信 父宛 封書 益御安康の筈奉大賀候 私事大元気にて矢張田舍ニて勉強罷在候 御休神可被下度奉願上候 共進会へ出品の期も段々近づきし為いそがしく相成候 今日より又々別ニ一つかき始メ申候 田舍の女子が野ニてよめなを摘む処の図ニ御座候 此頃の天気ハ真ニ春ニ御座候 早々 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要奉祈候

1891(明治24) 年2月27日

 二月二十七日附 グレー発信 母宛 封書 このごろのおてんきハまことニけつこうです まるではるニなつたこゝちがいたします それゆへまいにちそとでべんきようをいたします けふもこれからすぐニかきにいかなけれバなりませんよ はくらんくわいニだすゑも一つハたいていできました(後略) 母上様  新太郎

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