1890(明治23) 年12月12日


 十二月十二日附 パリ発信 父宛 封書
 十一月二日附之御尊書慥ニ相届難有拝読仕候 益御安康之由奉大賀候 元老院も廃院ニ相成今後ハ貴族院開院中の外は御暇ニて御気楽此上も無き儀と奉存候 教師注文の植物菖蒲丈ハ時節よろしく早速送り方御都合被成下候由奉謝候 教師ヘモ其旨通し置候 田舍ニて描申候油画四枚程今日教師ニ見せ申候処殊の外満足の体にて進歩見へ候と申候 其四枚の中窓の内にて女子読書の図尤も気ニ入リ候 一二ヶ所出来悪き処を直し候上是非来春の共進会へ出品致す様申呉れ候 尤も其画の趣向等年寄の画工達の気ニハ入らぬかも知れず候故共進会へ持ち出し候て審査の時ニハねらるゝもハかられず其辺の処ハ覚悟す可しと教師も申事ニ御座候 私の歌態々御直し被下難有厚御礼申上候 又々何ニか思ひ付申候時ハ入御覧可申候 てニはと申者ハ誠に六ヶ敷ものニ御座候 併しそのてニはが日本語の基礎ニ御座候故少しなりとも是非知リ度望ニ御座候 我国の言葉を知らずと申てハはづかしき儀ニ奉存候 巴里へ帰リ申候翌日より学校にて稽古始メ申候 此の儘にて四週間程勉強仕夫レより又々田舍ニ引込みかきかけの画の直し方などニ骨を折度考ニ御座候 余附後便候 早々 頓首
 父上様  清輝拝
  御自愛専要ニ奉祈候 皆々様へよろしく御伝言奉願上候