1889(明治22) 年5月12日


 五月十二日附 ボアニュビル発信 母宛 封書
 一ふで申上度候 ますますごきげんよくいらせられ候よしおんめでたくぞんじあげまいらせ候 わたくしこといつもあいかわらずだいげんきにてさる七日よりまたまたいなかにまいりいまだにたいざいいたしをります このちはパリすよりちかくそうしてけしきもよいとゆうほどでハありませんがまづまづせいようにてしはかなりにてゆわやまたまつのきなどもたくさんございます いくらいなかとゆつてもせいようハやつぱりせいようにてにつぽんにをるようなわけにハいきません またこちらのけいしよくハにつぽんのけいしよくのようでハなくなんとゆつてもやつぱりうまれたとちがよいようです いまこちらハはなのじせつにていろいろなくさばながのばらにさきまたりんごやすもゝのようなきのはながさかりでございます さくらのはなはもうすぎてしまいました りんごのはなはもゝいろとしろとのまぜにてまことにきれいでございます またのばらによめじよがたくさんはへてをります このよめじよをみるたんびにみやこんじよのことをおもいだしますよ きたいなものです わたしはともだちと三人づれでございます ひとりハあめりかじんもうひとりハいぎりすじんです このふたりハまことによいひとたちにてしじゆうわたしといつしよにゑんそくなどいたします こんにちハにちようびにてあさのうちハ三人づれにてきんじよのいなかをあるきそれからをひるのごぜんをたべてからやどやのうしろのほうにあるをかのうへにのぼりまつのきのかげにやすみましてこのてがみをかきます ともだちのやつらもみんなてがみをかきます たゞいまてんきがわるくなりあめがぽちぽちぽちぽちぽちぽちとあゑてきました あめがふつてきてハそとにハをられませんからこれからやどやにかへります さてやどやにかへりつきましたからこれからまたすこしをハなしをいたしませう こんげつのはじめにまいとしあるゑのはくらんくわいのくわいぎようしきがございました この日にはゑをだしたひとかまたおかねを二ゑんばかりだしてきつてをかつたひとでなければみにいくことハできないのです わたしハともだちのあめりかじんがつれていつてくれました このあめりかじんハあぶらゑをひとつだしました だれでもあぶらゑをだしたひとハともだちをあさひとりとひるごにひとりつれていくことができるのです それゆへにわたしハこのくわいぎようしきをみることができました さてこのゑのはくらんくわいのくわいぎようしきにハぱりすにをるなだかいゑかきなどハもちろんやくしややまたくさぞうしなどをかくひとやなのしれたひとたちハみんなかないなどをひきつれてみにくるのです このひとたちハみんなゑをみにくるよりもひとをみにくるのです それゆへにをんなのひとたちハ一しようけんめいなしやれにてあかいきものもあれバあをいのもありくろいのもねずみいろのもしかじかざつたにてまことにきたいなみものでございました(中略)
 さる六日には大はくらんくわいのくわいぎようしきがございました わたしたちともだち三にんづれにてばんめしをたべてからはなびをみにいきました こんどはくらんくわいのためにできたせかいだい一といふたかいひのみやぐらのようなものゝなかにひをつけましたもんですからそれがくわじのようにまつかになりずいぶんきれいでした またかわじようきにハちようちんといろいろなはたをたくさんつけをんがくをしてかわをあちこちいたしました りようごくのかわびらきもこれにハかなうまいかとおもわれます(後略)〔図〕
 母上様  新太拝