1887(明治20) 年12月29日


 十二月二十九日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)わたくしことはいつも申あげますとをり大げんきにてあいもかわらずべんきようをいたしておりますからどうぞごあんしんくださいまし このまへのしゆうかんにゑのがつこうでまたしけんがございましたらこんどハよいあんばいにすみゑで一ばんをとりました わたしと一しよにをなじく一ばんのなかまにいつたひとは三人にてわたしもいれて四にんでした その三にんのひとたちハひとりハいぎりすじん それからあめりかじん もうひとりのひとはいぎりすのきたのほうのゑこすと申くにのひとでした まづよいあんばいでした どうぞどうぞごあんしんくだいまし(中略) こないだぶんぞうさんにおみやげにもらいましたおかねでみれといふなだかいゑかきがかいたゑのほんを一さつ九ゑんばかりだしてかいそのほかいろいろなほんを三四さつかいました まことにうれしいことです(後略)
 母上様  新太拝
 (後略)

同日の「久米圭一郎日記」より
9h à midi j’ai été à l’atelier. Après déjeuner je suis allé au Bon Marcher avec Goh. 3h1/2 je suis allé chez Mr Collin apporter des masques qui venait de recevoir du Japon. Le soir de 7h à 8h j’ai eu la leçon de Mr Arcambeau.

(和訳)十二月二十九日 木曜日
九時より正午までアトリエにいる。昼食後、郷とボンマルシェに行く。三時半にコラン氏の家に行き、日本から届いたお面を持って行く。七時より八時までアルカンボー氏の授業を受ける。

12/29 Jeudi