1887(明治20) 年9月16日


 九月十六日附 ブリュッセル発信 父宛 封書
 御一同様御揃益御安康奉大賀候 私事去る九日午後五時頃ブランケンベルクナルバンハルトラン氏ヲ立出て当時ブリユクセル府滞留中ニ御座候 毎日友人等トアチコチシテ実ニ面白キ事ニ御座候 松方氏モ旅より今日帰へり来らるゝ由折角の事故会テから巴里に帰り行かんト思ヒ今日迄金の入るのに滞在致し候次第ニ御座候 バンハルトラン家ニハ去月三十一日より今月九日迄十日間計厄介ニ相成実ニ難有次第 如何ニして此ノ返礼をせんか学問成就の後ちに非されバむづかしき一件也 又当地に来れバジロント云人の内から飯食ひに来れト招かれウエベルト云人の家にてハ毎日の様に御馳走に成り実ニ此ノベルジク国ニ来れバ本国にでも帰へりたる様な心地致し候 又当地在留の書生ハ皆々学問も有り人物よき人達にて巴里に帰へり度なき様な心地致し候事ニ御座候 頓首
 父上様  清輝拝

同日の「久米圭一郎日記」より
J’ai écrit une lettre pour le Japon No 21.

(和訳)九月十六日 金曜日
日本への第二十一号の手紙を書く。

9/16 Vendredi