1886(明治19) 年10月22日


 十月二十二日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)またわたくしがかいたゑをなにかおくつてやれとゆつておやりなさいましたけれどもいまかくゑはたゞひとのかたちやまたつらなどをたゞやきずみでかくのですからおくつてあげそうなものはなんにもありません けれどもいづれそのうちになにかしらんかいておくりますからまつていてくださいまし くろだきよたかさんにたのんでおくつてくださいましたすみはたしかにとゞきました(中略) すぐにそのすみをうちのおやぢにやりましたらおゝよろこびでした(後略)
 母上様  新太より

同日の「久米圭一郎日記」より
午前八時ヨリ十二時迄コラロシー校 午後二時半再コラロシー校ニ赴キ独リ図形ヲ学ブ 夜八時至十時デッサン学校十月廿二日