本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1886(明治19) 年9月12日

 九月十二日 ラエ発信 母宛 封書 七月十六日同二十三日のおてがみさる十日にあいとどきさつそくはいけんいたしました そのおんちにては父上様 あなたさまおんはじめしたのうちでもまたあねさんたちもみなさんおんかわりなくますますおげんきのよしなによりおんめでたくぞんじあげまいらせ候 つぎにわたくしことまことにまことにげんきにてやつぱりたびをしております どうぞどうぞごあんしんくださいまし このまへのびんにはついついてがみをあげだしませんでした そのかわりにけふはすこしわたしのたびをしたはなしをいたしませうよ さる一日にべるじつくといふくにのみやこぶりゆくせるといふところをたちましてぶりゆじゆと申ところにまいりました このぶりゆじゆといふところはたいへんふるくからあるまちにていませけんにあるようないゑでないふるいいゑなどがたくさんございます そのいゑのかつこうはこんなあんばいです〔図〕 それからそのほかふるいあぶらゑのはくらんくわいなんどがございます たいへんめずらしいところです 一日のあさ十一じごろにつきましてそれからゆうがたの七じごろまでかゝりたいていけんぶついたしそれからまたきしやにのりぶらんけんべるぐと申ところにまいりました このところはうみぎはにてこちらのかねもちなんどがあつさよけにあすびにいつておるところです そこにまつがたさんのしつておるばんはるとらんといふぶりゆくせるのひとがあすびにいつております そのうちにまつがたさんもいつておいでなさいました それゆへわたしはきしやがらおりるとすぐにそのうちにたづねてゆきまつがたさんにあいました そのばんハまつがたさんのおせわでやどやにとまりよく二日にはばんはるとらんといふひとのむすこがあさ六じごろにわたしのやどやにきてくれました それから一しよにはまべをあるきまたわたしは七じごろにみづをあびりました それからそのばんはるとらんさんのうちにゆきあさごぜんをたべまつがたさんやばんさんのむすこそのほかふたりのしよせいと五にんづれにて八じごろからまたぶりゆじゆにゆきゆうがたみなと一しよにぶらんけんべるぐにかへりました そのばんもまたばんさんのうちでごちそうになりました そうしてそのばんもまたこのぶらんけんぶるぐのやどやにとまりました そのばんはるとらんといふうちはかないぢゆうそろつてみんなよいひとたちにておとこのこがふたりおんなのこが五にんばかりおります そのそうりようむすこはことし二十ばかりのやつですけれどもたいへんりこうなやつにてことし大がくこうをそつぎようしたとかいふはなしです また二ばんめかのむすめはたいへんよくゑをかくやつにてずいぶんおもしろいやつです 三日のひにはあさ十じごろのきしやでたつゝもりでしたけれどもおかみさんがひるめしをたべてからたてとしきりにすゝめますからそれにしたがいました それからむすこやむすめたちと一しよにみづあびにゆきました ひるめしをたべてからまつがたさんとばんさんのむすこと三にんにてまちにおもちやのかひものにゆきました そうしてうちにかへつてからばんさんのうちのおゝきなむすめをはじめきんじよのむすめやちいさなこどもなんどをあつめふくびきをしておゝわらいをいたしました かれこれしてあそんでおるうちにおそくなりました 六じのきしやにてぶらんけんぶるぐをたちおすたんどといふところにまいりました このおすたんどといふはやつぱりかねもちのひとたちがなつやすみにあすびにゆくところにてぶらんけんべるくよりもすこしきれいです つくとすぐにやどやをきめそれからめしをくいのちひとりではまべをあるきました よくじつはあさ九じすぎのきしやでおすたんどをたちがんといふまちに十一じごろにつきゆうがたまでかゝりゑのはくらんくわいやうゑきやなどをけんぶついたし七じごろのきしやでこんどはあんべるすといふところにゆきました このあんべるすと申ところハにつぽんでいはゞよこはまのようなところにてなかなかりつぱなところです このばんはきしやにのるまへにごぜんをたべるひまがありませんでしたからすていしよんでうでたまごをひとつとちいさなぱんをひとつかいましてそうしてきしやのなかでたべました きしやのなかにへいたいがひとりをりましてそのひとがなかなかしんせつなひとにてやすいやどやをおそゑてくれましたからきしやがつくとそのやどやにゆきましたところがやすものかひのぜにうしないとやらにてそのやどやにはいつもわたしがくわれるあのわるいむしがたくさんおりましてよぢうよくねることはできませんでした 大へいこういたしました そのむしのおかげであさもはやくおきうしのちゝをのみぱんをたべてすぐにそのやどやをとびだしうむすさんといふゑかきのうちにゆきました このうむすさんといふひとはぶりゆくせるでわたしがたいへんおせわになつたうゑべるのおかみさんがよくしつておるひとにてそのうゑべるのおかみさんがわたしがぶりゆくせるをたつときにもしあんべるすにいつたらうむすさんにあつてめづらしいゑなんどをみせてもらゑとのことにてわざわざしんせつにてがみをかいてくれましたからそのてがみをもつてうむすさんにあいにいきました ところがあいにくうむすさんはいまいなかにいつておると申ことにてあうことができませんでした それからすぐにいろいろなけだものゝおるはくらんくわいをみにゆきました またゑのはくらんくわいも二つみました ひるごの三じはんのきしやであんべるすをたち七じごろにおらんだのみやこらゑといふところにつきました こうしくわんからこうしのむすこなかむらじろうさんといふことし十三ばかりのひとがばしやでむかいにきてくれました それゆへすぐにこうしくわんにゆきました まだいまでもこうしくわんのごやつかいになつております こうしのなかむらさんといふおかたはたいへんいいひとです わたしがついたときにはおかみさんをつれてぱりすにいつておいでなさいましたからるすでしたが三四つかまへにふたりともかへつておいでなさいました わたしはあんまりながくごやつかいになつておるのはおもしろくございませんからもう二三にちのうちにこちらをたちまたぶりゆくせるにゆきすこしおりそれからぱりすにかへりべんきようをはじめるつもりです ことしのなつやすみにはおかねはすこしたくさんいりましたけれどもまことにいゝたのしみをいたしました さくじつはこゝのこうしくわんのしよきくわんをしておいでなさるしまむらさんと申ひとにあむすてるだむといふところにつれていつてもらいました このらゑよりきしやで一じかんのすこしうゑかゝるところです たいへんりつぱなまちです いろいろなけだものゝかつてあるところやゑのはくらんくわいそれからろうざいくのいきにんぎようなどけんぶついたしました あさ八じはんごろのきしやででかけましてよる十一じごふんにうちにかへりました ゆうめしはりつぱなところでたいへんなごちそうになりました たびのはなしをかきだしましたらついついこんなにながくなりました このまへのびんにてがみをあげなかつたかわりですからどうぞそうおかんがへくださいまし こないだのびんにまきがみがまだあるかどうだとゆつておやりなさいました まだたくさんぱりすにもつております なくなつたらすぐそうゆつてあげますよ まきがみよりこのかみのほうがよつぽどかるいようですからこのごろはしじゆうこのかみにかきます かごしまのおぢさんへぜひおてがみをあげなけれバならないのですけれどもどうもどうもとじまりませんよ いづれそのうちにあげますからどうぞよろしく したの父上様からのおてがみハまことにありがたくはいけんいたしました みなさんおげんきでめでたし またおみねぼんハまだうちだされずにおしやべりをしておるとの事まづしやわせのよいことです あねさんたちはまたまたほくかいどうにおいでなさるよし さぞあとはおさみしくなりましたろうとそんじます あねさんにはながくてがみをあげずごぶさたをいたしております ごめんごめん よろしくよろしく おゑいさんにもいつもこのごろハごぶさたばかり これもおなじくごめんごめんごめん そちらではことしハたいへんあつかつたそうです さぞおこまりなさいましたろう こちらではわたしがぶりゆくせるをたつまへに四五にちばかりすこしあつうございましたがそんなにたいしたことはございませんでした このおらんだはもうたいへんすゞしいことです わたしはなつでもなんでもげんきですからどうぞどうぞごあんしんくださいまし につぽんとこちらはちがいますからにつぽんがあついからせいようもあついだろうとよけいなおしんぱいはめしもすな またふらんすもひろいところですからたとへふらんすでわるいびようきなんどがはやるなどゝいふことをおきゝなさいましてもけしておしんぱいをめすにはおよびませんよ なんでもおしんぱいは一せつおやめおやめおやめおやめ こないだのびんからにほんのにしきのきれをおくつてくださいともうしてあげました そのてがみがつきましたよし そうしてよいきれをめつけておくつてくださるとのことまことにまことにありがたくあつくあつくおんれい申上ます もうこんどはたいがいこのくらいにしておきませう めでたく かしこ 母上様 ぶじ  新太拝  せつかくおからだをおだいじになさいまし みなみなさまによろしく ともだちのやつたちにはしばらくてがみをやりません もしだれかがまいりましたらよろしくゆつてくださいまし

1886(明治19) 年9月24日

 九月二十四日附 ブリュッセル発信 父宛 封書 寸紙拝呈仕候 秋冷之候先以テ御尊公様御始メ御一同御揃益御安康奉賀候 次ニ私事未タ休暇中ニテ先便より申上候通ベルジク国中処々見物ノ末ヲランダ国ヘ罷越ハアゲ公使館中村氏方ヘ十二三日御厄介ニ相成去ル十七日同処ヲ発シ又ベルジク国都ブリユセルヘ来リ当時プラスサントギユヂユルト申処ニ松方氏ト共々下宿致居候 本月末迄ハ当府ニとどまり居積ニ御座候 身体ハ至テ壮健ニ御座候間御休神可被下候 ヲランダ国公使中村氏ニハ今度非常ニ御世話ニ相成候間御閑暇ノ折礼状として一通御送リ被下候ハヽ幸甚 今日ウエベルト云人ノ妻君及ヒ其子どもたちと一緒ニ写真ヲ取リニ罷越し候 本月末ニハ出来るとの事ニ御座候 出来次第早速御送リ可申上候間母上様へも左様御申上被下度候   ヲランダ国ハアゲ府出発ノ前夜月甚ダ宜しく候し故秋の月と云意味ニテ  秋の月見れハ見る程すみかへり光りもさむき心地こそすれ 先ハ左右如此御座候 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要奉祈候 皆々様ヘ可然御伝声奉願上候

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