1904(明治37) 年10月8日


 十月八日 土
 午前重野紹一郎君ヲ訪問ス 夕刻ヨリ清水谷皆香園ニ於テ鹿児島高見馬場方限懇親会ノ催有リ出席ス 来ル二十七回ノ幹事ハ大迫 瀧岡及拙者ノ三人ナリ

同日の「久米圭一郎日記」より
朝早出天気が少々怪しかつたが段々よくなる。一ツ橋より本郷を歴て下谷銀行にいつたが金額少きため預入出来ず。引返し淡路町の亀屋にて送達賃の事を問合す。昼前に帰宅。午後三時頃に敦翁来冦、小代竹沢続いて来り、佐野も役所の帰りに寄り又々大会となる。大和田の丼飯を注文す。但し佐野は食後に出直す。十一時半まで闘ふたが不思議にも原町の景気がいゝ。其前敦翁は軍用自転車着荷の赴を話した。戦争については今日万朝号外ステッセル投降の止むを得ざる事を電奏せりとの新報は決してあてにならぬ。今日コラン先生より長文の手紙を受取つた。重に戦争についての意見で我好結果を期待するとの文であつた。十月八日 曇