1904(明治37) 年7月31日 Sunday 七月三十一日 朝より空合が悪かつたが十一時頃より雷鳴次第に劇烈になつて来る。十一時半より十二時頃最も甚しく数回落雷の地響きがする。近来にない大雷りであつた。東京中では三十五ケ所も落ちたとの事。満州激戦の音響を市民に感知せしめんとの雷公の注意一種の心切と思はねばなるまい。今日は帝国文学講演筆記の訂正を終り夕方安藤勝へ郵送した。黒田の母堂今朝十一時永眠の報あり。七時車を飛ばして訪問、来客多し。合田藤島なんかと話し後佐野も来た。十時佐野と共に辞し帰る。〔欄外に「旅順攻撃開始の報あり併しあてにはならぬ。」〕 引用の際は、クレジットを明記ください。 例)「1904/07/31 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871691.html(閲覧日 2025-04-27) 同日の「黒田清輝日記」より 七月三十一日 日 午前十一時母上遂ニ御逝去被遊 昨日今日ノ事実ニ記スニ忍ビズ(七月三十一日 日) « 七月三十日 晴 八月一日 朝雨天後日光漏 »