七月三十一日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)みようにちからこのがつこうをでましてこうしくわんのきんじよのやどやにとまりにゆくつもりです おやすみぢゆうはそのやどやにおるつもりですからさようごあんしんくださいまし このやどやはこつちについたころなをよんさんと一しよにおつたりつぱなやどやです 一日ぶん六ふらんのやくそくでとまることにきめました 六ふらんはにつぽんのかねで一ゑん二十銭ぐらいです につぽんのかんがへではたいへんたかいものですけれどもこちらでこのぐらいのやどだいはつうれいよりしたではございますけれどもうへではございません なをよんさんにおきゝなさればよくよくわかります このやどやなんどのことはみんなまつがたさんのおせわです ぜんたいこのやどやはわたしなんどのやうなこぞうがおるようなところではありませんけれどもなつのことにてやどをするひとはすくなくそれゆへ一日ぶん八ふらんといふのをまつがたさんがようやく六ふらんにまけさしてくださいましてとうとうこゝにおることになりましたよ(後略)
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本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
二月十三日 日 晴 電報通信社森本氏外一名談話筆記ノ為来ル