1917(大正6) 年11月5日
十一月五日 月 午後曇 午前十一時頃和田三造伊豆湯ケ島ヘ赴カントテ暇乞ニ来ル 草光ハ原稿読合セノ為ニ来リ二人落合ヒタリ 午後資英子ヨリ菊花ヲ受ケ元三ト共ニ兼当翁ノ遺稿ナドヲ観タリ 夜時延履歴書ヲ持参ス 去ル明治三十九年ニ久米君ト起草セル美術評議会規則案ナルモノヲ撰シ出シテ写シ直ス 美術院案ノ参考トシテ提出センガ為ナリ
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
十一月五日 月 午後曇 午前十一時頃和田三造伊豆湯ケ島ヘ赴カントテ暇乞ニ来ル 草光ハ原稿読合セノ為ニ来リ二人落合ヒタリ 午後資英子ヨリ菊花ヲ受ケ元三ト共ニ兼当翁ノ遺稿ナドヲ観タリ 夜時延履歴書ヲ持参ス 去ル明治三十九年ニ久米君ト起草セル美術評議会規則案ナルモノヲ撰シ出シテ写シ直ス 美術院案ノ参考トシテ提出センガ為ナリ