九月十七日附 ブレハ発信 母宛 封書 一ふで申上奉候 その御ち父上様あなたさまおんはじめみなみなさまおんそろひますますごきげんよくいらせられ候はづおんめでたくぞんじあげまいらせ候 つぎニわたくしことだいげんきにてこのまへのびんからちよつとゆつてあげましたとうりさる九日のばんにぱりすをたちましてそのばんハきしやでとうしよくじつのひるの一じすぎニさんぶりゆニつきそれよりのりあいばしやにのりこみまして五じごろニぽるとりゆといふところニつきました こゝからはがきをあげましたのです さてそのぽるとりゆと申ますところハうみばたですからそこからぶれハといふしまニゆくふねがでるかとおもつてこゝニまいりましたがそこからハふねハでずもしそこからぶれハじまニぜひわたつていこうとおもふならべつニふねをやとハなけれバならぬともうすことでした そこでそこからぶれハまでハまだずいぶんとをうございますがふねでいくのハてんきさいわるくなければちよつとおもしろいとかんがへふねをやとうことゝきめました それからよくあさニなつてみるとおてんきがなかなかよくあんまりおてんきがよいのでかぜがちつともなくふねハだせないといふことニなりました それニハちよつとこまりましたがこゝから八九りばかりさきのらるくゑすとといふところからしまへわたしぶねがあるときゝましたからこのつまらないぽるとりゆなんかんてところでたかいぜにをだしてとまつてをりかぜのふくのをまつてぶらつとしてをるのハいかニもきのきかぬはなし そのうへいつときもはやくそのぶれハじまがみたいのでばしやをやといそのらるくゑすとのわたしまでいくことゝきめあさの十じころニたちましておひるごぜんをぱんぽるといふちよつとしたまちでたべそれからまたばしやニのりなんでもひるごの三じごろニなつてようやくそのわたしばまでいきつきました そのふなわたしのあるところハなんでもおかからしままでが一りぐらいあるでしようよ ぢきニわたつてしまいました まことニこのぶれハといふところハよいところニてしづかなうへニけしきがよほどよろしゆうこざいます このしまのきんじよニうみのなかニいくつもちいさなしまがこざいます なんでもわたしなんかと一しよニきてをるかわきたといふひとがいふのニにつぽんのをうしゆうのまつしまといふところがこんなだそうです たゞまつしまのしまニハまつのきがはゑてをるそうですがこゝのこじまニハまつのきもなんニもはゑていません それからまたこのしまのまわりのうみぎわニなつてをるところニおゝきなゆハがでこぼこニなつてをります なかなかよろしゆうございます よるなんかつきのあるときハなんともゆわれません こんやのつきもなかなかよろしゆうございます あすのバんハほんとうの十五やのつきだそうですからはまばたのゆわのうへニなんかたべものでももつていつておつきみでもしようともうしてをることでこんどハくめさんとかわきたさんと三にんづれのたびですからなかなかおもしろうございます くめさんとかわきたさんハ二たつきばかりこゝニをつてゑをかくつもりです わたしハもう十日もしたらぱりすへかへつていくつもりです ぱりすへかへつてひとりニなつてみたらなかなかさみしいことだろうとおもひます しかしあつちニかきかけたゑなんかがたくさんありますからしかたがございません めでたくかしこ 母上様 新太 ぶれハより せつかくおからだをおだいじニ
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本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
三月十五日 火 朽木氏出発ノ筈