本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1904(明治37) 年3月25日

 三月二十五日 金 午前十一時頃小西氏来診 母上ノ御容体ニ就テハ悪シキ方ニ非ズトノ事也 本日御体温最高度八度七ナリ 本日ハ午前白瀧幾之助来訪 午後父上御入来 和田三造モ来ル 引続キ黒田清二氏ノ子息 寒川鼠骨 一昨日名古屋ヨリ上京セラレタル芳子殿及清子等来ル 大久保梅子殿ヨリ見舞状ヲ贈リ越サレタリ 夜合田夫婦来リ十時過マデ語ル 今夜アイスクリームヲ造リ母上ニ呈ス 今夜少シク熱アル如キ心地故早ク寝ニ就ク 十一時半也 中村ハ今朝起抜ケニ去レリ 在米国聖路易柳敬助ヘ日本新聞社ノ辞令書ヲ送リ出セリ

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