1892(明治25) 年1月21日
一月二十一日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)ほくかいどうからおかへりニなりましたらわたしのゑもとゞいておりましたよしあなたさまがたのおきニいりましてまことニうれしいことでございます このまへのびんからゆつてあげましたとうりいまハいなかニをりましてきようしんくわいニだそうとおもうゑをいつしつペなつてかいてをります ことしもさくねんのようニ一まいでもうけとられるようニなればいゝがとおもつてをります かのししがやまのなかニをるところのゑをかいてみたいとハおもつてをりますがあんまりむづかしいもんですからまだてをだしきらずニをります きようしんくわいニだすゑハ三月の十三四日ごろまでニかいてしまつてちやあんとがくニいれてもちだすようニしなければならないのですからなかなかいそがしいことてす こんどのハきよねんのからみるとよつぽとおゝきうございますから一つのがくぶちだけニでも三百ふらん につぽんの七十円ぐらいはとられるだろうとしんぱいいたしてをります まあいくらおかねがかゝつてもきようしんくわいニうけとられさいすれバよろしゆうございます それでべんきようをだい一としてをりますからごあんしんくださいまし(後略) 母上様 新太拝