本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1892(明治25) 年2月12日

 二月十二日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事至而元気一昨日巴里へ出て参り候 最早金受取も亦額縁の誂方等も全く終り候間今夕又々田舍へ引き返へし可申候 共進会へ持出し申候積の画未だ全く出来上り居らず候ニ付試験前の如き心地致候事ニ御座候 額縁ハ仏貨にて二百十仏計りかゝり申候 我六十円近き高ニ御座候 此の払ヒなどハ五月頃ニ終末相付申可考ニ御座候 何ニしろ只今ハ手本雇入代又ハ絵具代かれこれニ無心配仕事せねバならぬ折柄今度御送被下候為換ニて万事都合よく運被申候 御礼申上候 兼而兄弟如く付き合居候学友久米氏も今度の共進会へハ景色画二枚程出品被致積折角其用意致し被居候 同氏にも事ニ依りてハ当年の末か来年の共進会後かニハ必す帰朝被致覚悟 私も同道仕度存候 昨夜久米氏と色々後来の事共ニ付話しなど致し候 二人にてあらまし取り極め申候事共委細後便より可申上候 早々 以上 父上様  清輝拝  御自愛専要ニ奉祈候

1892(明治25) 年2月26日

 二月二十六日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたしハいつものとふりたつしやでべんきようをいたしてをります このごろハまだきようしんくわいのゑをかいてをります なかなかむづかしいのでひまがかゝります この十五日ばかりといふものハやどやニハさつぱりいきませんでうちでたべものをこしらへてたべてをります わたしのてほんニなつてくれるやつがかいものもしてくれまたりようりもこしらへてくれますからしあわせです(後略) 母上様  いなかより 新太拝

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