本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年9月24日

 九月二十四日 (ブレハ紀行) 夜食の時しらぬ男(其中一人ハ軍服にて)二人入り来る 島ニ来居る美術家連にて今夜今一つの宿屋なるペロケグリと云内で島中の美術家の寄合を為す それを幸拙者等招テ知リ合ニ為りたしとの事也 即ち夜食後行ツタ 河北ハ行カズ 十一時頃迄居つて帰つた 歌など歌ふた(拙者等を呼ニ来た中の一人なる軍服の野郎が立つので其奴の別れの為めの寄り合の由也)

1891(明治24) 年

 九月二十四日附 ブレハ発信 父宛 葉書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事未ダ此の島ニ居り毎日子供など雇ひ勉学罷在候間御休神可被下候 前便より申上候通り此の島ハ誠ニ景色よき処の上生活安く先づ西洋の極楽ニ御座候 食料一日分三仏五十 又部屋代ハ我十五銭計りニ候 手本雇入代などハ巴里近在とハ非常な違ひニて先づ巴里近在にてハ小供雇入代一時間ニ五十サンチヌ即ち我十銭計りなるを此の地ニてハ半日分が即ち其代と同じ事ニ御座候 大人ハ半日分一仏位の事と存候 此の二三日ようやく少し天気よく相成候間早速外にての稽古相始め申候 私ハ今度ハ永居の用意致し居不申候間三四日の内ニ一先つ帰巴仕考ニ御座候 先づ西洋で今迄見たる内ニてハ此の地が第一ニ御座候 余附後便候 早々 頓首 父上様  仏国コート・ド・ノール県ブレハ島 黒田清輝拝  御自愛専要ニ奉祈候

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