本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
九月五日附 ブリュッセル発信 父宛 封書 去ル二日ブランケンベルクなるバンハルトラン氏ヲ去りベルジク国都ブリユクセル府ニ参リ候 去月三十日頃より松方正作氏もバンハルトラン氏方へ滞留セラレ面白ク日ヲ送リ申候 松方氏 中村次郎氏同道ニテブリユクセルニ来リ一泊仕翌三日午後二時半の気車ニテ阿蘭陀国都ラアエヘ向ケ又出発仕候 巴里ノ公使田中氏の子息田中阿歌麿君モブリユクセルヨリ同行セラレ候故今度ハ四人連(松方 中村 田中及私)と相成一層面白キ事ニて有之候 同日午後七時頃ニ無事ラアエ府ニ着仕四人共同所の公使館ニ止宿仕候 当地ハ巴里などニ比すれバ実ニ田舍ニ候 日本人ハ至而少なく代理公使の島村氏ト書記生の吉田某の二人のみニ御座候 公使館ニテハ昼も晩も日本館の御馳走有之実ニ難有事ニ御座候 私事尚十四五日ハ当地ニ滞留仕有名なる古画を写し取る考ニ御座候 当地の公使館ニテ住ひ且ツ食し居る事皆島村氏の御影ニ御座候 買ヒ物など致すニも仏語がとうかこうか通し候故甚ダ便利なる次第ニ御座候 当年ハ殆ンド一ヶ月程バンハルトラン氏の厄介ニ相成候故御歳暮ニハ何ニカ少し気のきゝたる物を進物せねバなるまじきと相考ヘ居候 ブランケンベルクニてハ毎日遠足やら何やらにて実ニ心地よく日を送り候 同処出発前娘子等が何か記念の為の日本字を書き呉れと申候故左の歌を作り出してかき与へ候 相見るも今日をかきりとなりぬれハ思ひあまりていふよしもなし 世をわひて人なき里に松風を友とする日も君ハわすれし 御一笑被下度候 余附後便候 早々 頓首 父上様 清輝拝 (後略)
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九月十三日附 ハーグ発信 母宛 封書 (前略)わたくしハまだおらんだのくにのみやこのらゑと申ところにをりましてこゝのこうしのかはりをしてをいでなさるしまむらさんといふをかたのごやつかいになつてをりましてまいにちゑのはくらんくわいになだかい画をうつしにいきます なかなかたのしみにもなるしまたけいこになります こんげつのはじめからこゝのうちのごやつかいになつております あんまりながくをるのもおきのどくですからもう四五にちのうちにハべるじつくのほうにかへつていこうとをもいます まつがたさんもこゝにをいでです そのほかたなかさんといふひとゝなかむらさんといふひとも一しよにをりますからにぎやかなことでございます(中略) このごろうつしてをるゑハちよつとこんなようなのです おいしやさまがしんだひとのてのかわをはいでそうしてそのときあかしをしてをるところです〔図 こゝのへんにをるたくさんのひとハみんないしやのせいとです〕 めでたくかしこ 母上様 新太より せつかくおだいじになさいまし
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九月二十日附 ハーグ発信 父宛 封書 御尊公様御始メ皆々様御揃ひ益御安康奉大賀候 次ニ私事未ダ和蘭国海牙府日本代理公使島村氏方へ厄介相成居毎日二三時間位づゝ名画写し方ニ勉強罷在候間御休神可被下候 来る二十二三日頃ニハ是非共ベルジク国都ブリユクセルへ行ク積ニ御座候 ブリユクセルハ当地より気車ニテ四時間ニ御座候 而してブリユクセルに一週間も滞留の上帰巴の積ニ御座候(後略) 父上様 清輝拝
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九月二十八日附 ブリュッセル発信 父宛 封書 八月十六日附の御尊書和蘭国海牙府ニ於て接手仕候 益御安康之由奉大賀候 先日帰朝相成候和蘭公使中村博愛氏へ御面会被遊候由 同氏子息次郎ト申者トハ当年の休暇中ブランケンベルク及ビ海牙ニ於テ殆ド一ヶ月半程同居致し居毎日共ニ遊歩など仕愉快を覚申候 当年盤梯山の噴火やら又岐阜徳島両県の水害やらにて随分不幸有し様相見エ候得共例のコレラ病の少なきハ何よりの事と奉存候 近頃ハ日光迄一日で行かるゝ様相成候由之レ全ク鉄道の功能と奉存候 去る二十三日和蘭海牙府出発当地へ参り当分松方氏方へ止宿罷在候 今一両日の内ニハ巴里へ帰る積ニ御座候 余附後便 早々 頓首 父上様 清輝拝 御自愛専要奉祈候 皆々様へよろしく奉願上候
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