本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1888(明治21) 年8月17日

 八月十七日附 ブランケンベルク発信 父宛 葉書 一週間前より此ノブランケンベルクと申地ニ来リ友人□□□(原文不明)氏ニ食客致し毎日画をかくやら又遊歩などニテ面白ク日ヲ暮し居候間御安神可被下候(後略) 父上様  新太

1888(明治21) 年8月24日

 八月二十四日附 ブランケンベルク発信 母宛 封書 (前略)わたしハやつぱりべるじつくと申くにのぶらんけんべるくといふうみばたのばんはるとらんさんのうちにやつかいになつてをりましてまいにちこのきんじよのいなかにゆくやらまたこゝのうちのおゝきなむすめさんとゑをかいたりしてあそんでをります まことにおもしろいことでございます わたしがこゝにまいりましてからもう二しゆうかんのよになりました もういゝかげんにハぱりすにかへつていこうとおもいます こゝのうちのひとハみんなしんせつなよいひとたちですからいつまでもをりたいようなこゝろもちがいたします こないだまでおらんだのこうしをしておいでなさつたなかむらさんのむすこのじろうといふひともやつぱりこゝのうちにをります このひとはことし十五ばかりです まいにち一しよにあそびます(後略) 母上様  新太より

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