本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1886(明治19) 年10月8日

 十月八日附 パリ発信 父宛 葉書 益御安康之筈奉賀候 時間無之端書ヲ以テ御伺申上候 私事去る一日ベルジク国出発帰巴仕再ビ画学稽古モ相始メ申候 御送り被下候箱未ダ当地ニ達セズ 毎日相待居候 日本開花の性質及外一冊都合二冊慥ニ相達候 頓首  黒田清輝

1886(明治19) 年10月15日

 十月十五日附 パリ発信 父宛 封書 追々寒気相催候処益御安康大慶至極ニ奉存候 次ニ私事大元気ニテ勉強致居候間御休神可被下候 御送リ被下候箱昨十四日税関ニテ慥ニ受取申候 錦ノ古切手実ニ見事ナル者ノミ故教師定而満足可致と存候(中略) 去る十一日より画学教師コラン先生ノ画学校ヘ行く事ニ相成朝八時より十二時迄実物ヲ見テ稽古致し候 教師は一週二回即チ火土二ノ日ニ十一時頃より来り画ヲ直シ呉候 生徒総計十人計ニテ其中日本人ハ三人ニ御座候(藤・久米の二氏及私) 久米氏ハ一二月前専ラ画学修業として日本より来リタル人也 当地の画学生徒など云者は実ニ不勉強ナルノミナラズ人物ガ一般ニ賎シキ様也(後略) 父上様  清輝拝

1886(明治19) 年10月22日

 十月二十二日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)またわたくしがかいたゑをなにかおくつてやれとゆつておやりなさいましたけれどもいまかくゑはたゞひとのかたちやまたつらなどをたゞやきずみでかくのですからおくつてあげそうなものはなんにもありません けれどもいづれそのうちになにかしらんかいておくりますからまつていてくださいまし くろだきよたかさんにたのんでおくつてくださいましたすみはたしかにとゞきました(中略) すぐにそのすみをうちのおやぢにやりましたらおゝよろこびでした(後略) 母上様  新太より

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