1904(明治37) 年7月30日 Saturday


七月三十日 晴

三四日前から朝顔見物を約束したが天気都合あしく延び延びになつたが、今朝はこま四時頃から起きて騒ぎ朝飯の支度で遅くなり五時が鳴つてから家を出て大門から電車に乗り六時過きに入谷に着いた。モー太陽は大分昇り花を見るに少々遅刻の方である。併し朝顔のみならず外の草花も色々あつて中々気持は良い。最初にはいつた植木屋拾銭づつのを二つ求める。是は届けてよこすとの事、中々便利な訳だ。三四軒の植木屋に入つたが新花園とかいうのが一番広くて見事であつた。併し楽隊には閉口する。こんな処でも人が少し出るようになると兎角生人形なんかこしらへてドンチヤンやるのは困る。然し是も大世間の必要具に相違ない。段々日が出ると暑くなつて来たからどこにもまわらす最近の電車に乗り九時前に帰宅す。昼飯後三時まで午睡した。夜九時過に小代高島来り大人今夜は不景気極る。先日得物の一部を返上す。十二時過る。 〔欄外に「浦塩艦隊遂に津軽海峡を脱過し帰航すとの報あり。」〕

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例)「1904/07/30 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871686.html(閲覧日 2025-04-29)