本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
十二月一日 (従軍日記) 同行の人と云ハ第一ニ宮様を始め其お附の今井海軍大尉 大阪砲兵本廠の少佐栗山氏 氏ハ仏国及伊太利ニ居りし人にて共々巴里の事など話し出て面白し 其外にハ軍医一名 議員二名 商船監督将校一名等也 門司より人夫の総大将として騎兵大尉佐伯美次郎と云人乗込む オレと同じ部屋ニたゝき込まれたり 午前九時半頃出帆す 名高き玄海灘ニ乗り入り波が少し高くなる 夕方ニ対州の沖を過ぐ 少しく舟に酔たる心地す 今井大尉と互ニ Revolver の射だめしをやる 又トロンコアが餞別ニ呉れたるポドメートルの試験をして見たるニ甚だ面白く動く 此日朝より寝る時迄の間ニ歩きたる歩数凡そ二万三千也 今日ハ西北の風かなり強くしてすわり込だる人多し 同行の軍医先生も致されたれば医者が酔とハ可笑し 医者も矢張山子なりなどゝ宮様が冷かされたるなどハ気の毒
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十二月三日 (従軍日記) 天気よし 今日ハ余程寒く為て来た 夫れが為め食堂のポワルニ火をたき始めたるニ煙筒が焼けて甲板がもへかゝつたので火消が始まると云騒ぎ 体屈な船中の事故こんな事も日暮の種と為る 五時頃ニ右と左ニ雲の様ニちよいとした陸見ゆ 右なるものハ所謂海洋島にして左のものが山東省の芝罘の後に在る高山の頂也と云 こんな小さなものハ実ハオレの目ニハ見へない 両眼鏡を借り宮様ニアスコだアスコだと云ハれて何る程と始めて分つた次第也 コレなんどハ久米公がいくらりきんだつて奴ニも見へる気遣ハねへのだ
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十二月四日 (従軍日記) 今朝ハ非常ニ寒シ 大連湾ニ着ス 兵站部ニテ昼めしを食ひ□□(原文不明)二人と共ニ金州へ向ふ 夕方着 大山大将 伊地知参謀 副官等ニ面会 外国武官と記し有る和記と云商家ニ宿ス 右松氏ニ逢フ
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十二月五日 (従軍日記) 山本 浅井忠 浅井魁一氏等ニ逢ふ 今夜荒川知事方へ一泊 今日山本等と憲兵の案内ニテ分取品をもらひニ行く
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十二月六日 (従軍日記) 今朝支那兵ノ死体埋ヲ見ニ行ク 浅井忠日本へ帰ル 山本方ニテ晩めしノ御馳走 今日管理部にて野津鎮武氏ニ逢ふ
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十二月七日 (従軍日記) 右松 竹下 徳長氏ニ逢フ 午後十五連隊の防戦したる地を見に行ク 亀井伯ニ始めて面会す 竹迫中尉ニ逢ヒ高島 平岡氏等負傷のよしを聞く
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十二月八日 (従軍日記) 金州城を発 議員二名及奈良崎氏と大連湾発の三池丸ニ乗込み旅順口へ行為也 今夜舟ハ出ず 舟ニ泊る
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十二月九日 (従軍日記) 混成旅団長長谷川少将 第十四連隊長益満大佐ニ面す 第二十四連隊長吉田大佐ニも逢ふ 二十四連隊ニてハ戦争後始めて日本酒ヲ得たりとて宴の最中ニ出逢御馳走ニ為る
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十二月十日 (従軍日記) 益満大佐の御世話ニテ氏の部下ナル中尉山田定直 同尾野実信氏の案内ニテ松樹山の砲台ヲ始メ海岸の砲台を見物す 昼めしを食ハず四時頃舟へ帰る 二名の士官を止めて夜食す 大連湾兵站部副官ノ川村大尉と吉田二十四連隊長を訪ふ 井原直澄氏の招ニテ芝居ヲ見物す
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十二月十一日 (従軍日記) 一と先金州へ帰る事と決し長谷川少将及益満大佐に別ヲ告グ 高島の処ニも見舞に行た 益満氏態々舟迄来てくだされて此度再び旅順へ来た時ニハ満足する様ニ案内してくれると云話なり
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十二月十二日 (従軍日記) 朝舟から上り奈良崎 鹿取と金州へ帰ル 金州の入口にて右松琵琶の日本へ帰ルニ逢フ 荒川 伊藤氏ニも逢フ めしの御馳走ニ為る
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十二月十三日 (従軍日記) 風強く寒さも一層也 山本と荒川知事を訪フ 山本の話が面白いので引とめられて長座した
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十二月十四日 (従軍日記) 二三日前より少し風の気分故日本より持て来た薬をのみ内ニ引込み居り戦の画などかいて暮した
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十二月十五日 (従軍日記) 朝山本と天野ノ二人が部屋ニ居る様ノ画ヲかく 夜ハ十二時頃迄山本と四面山ノ話をした
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十二月十六日 雪(従軍日記) 朝湯デ工藤ニ逢フ 鐘崎氏ノ肖像をかく 午後工藤が遊ニ来た 又池田中佐ト露国大佐ノボガク氏が山本ヲ訪ハレタルニ出遇フ 今夜も十一時過迄山本の部屋でかたつた
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十二月十七日 (従軍日記) 戦ノ画ノ下画ナド描テ暮らす 一つもものニならず 午後荒川氏ヲ訪フ 風引にて寝て居られたり 又荒川氏方へ夜話ニ行たり
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十二月十八日 (従軍日記) 今日ハ天気もよし いつもより少し暖なり 金州城の門外にて支那兵の死体ヲ埋葬し居る図ヲ作る 其レヲ持て荒川氏方へ行 夜食の御馳走ニ為り帰る 大久保利武へ手紙ヲ出ス 日本ヲ出テカラ始テ此ノ手紙ヲ書た
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十二月十九日 (従軍日記) 軍旗祭 朝十時南門外ニテ第二連隊ノ分列式ヲ見ル 十二時孔廟ニテ同隊により御馳走 二時過ニ楊家屯ニて第三連隊ノ祝宴ノ席ニ出張る 平岡八郎 伊藤(旧伊地知平吉)ノ二友ニ逢フ 夜ニ入て帰る(平岡ノ宿所ハ七里庄第三連三大隊副官部)
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十二月二十日 (従軍日記) 合田 久米等へやる手紙ヲかく 墨ヲ摺テくらす
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十二月二十一日 (従軍日記) 合田へ手紙ヲ出ス 招魂祭ヲ見ニ行 其序ニ山本ト海ノ凍つたのを見ニ行 夜荒川氏へ画ノ出来たのを三枚持て行 知事の名で合田へ送る為也 招魂祭ノ処で高島等に逢フ
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