1893(明治26) 年3月26日


 三月二十六日附 パリ発信 母宛 封書
 二月十一日つけのおてがみさくじつこうしくわんにてたしかニうけとりました みなみなさまおんそろひごきげんよくおんくらしのよしおんめでたくそんじあげます わたしハからだハまことニげんきでございますけれどこのごろのいそがしさハまことニへいこうでございます きようしんくわいのことばかりならともかくもいまニかへつていかなけれバならないといふおゝしごとがあるもんですからどうもどうもきがおちつかずせわらしいことでございます きようしんくわいニだしますゑハ二つともとうとうけふぎりでできあがりましたからあしたにんそくをたのんできようしんくわいのほうへおくつてやるつもりです 二まいともふらんすで一ばんといふゑかきのぴゆびす ど しやばぬといふぢいさんにみてもらひましたらたいそうほめられましたからたぶんこんどハきようしんくわいにうけとらるゝことだろうとおもつてをることでございます さてかへつてゆくことゝなつてみるといろいろつまらないようじができてまいります まあどうしてもこちらをたつのハ六月のなかばごろニなるだろうとぞんじます こないだからひらけてをるちいさなきようしんくわいに六まいほどゑをだしてをきましたらある三ツ四ツばかりのしんぶんしににつぽんじんのくろだといふやつがせいようゑをかくだのなんのかんのとかいてありましたよ もう四五ねんもこつちにをつたならすこしハせけんにしられるようになるかもしれませんがざんねんです いまこれからといふときになつたところでかへつていくのですからかなしいもんです だがしかたハございません につぽんへかへつてからてがさがらなけれバよいがとおもつてをります せいようじんにまけんようにやろうといふのハむづかしいもんです せいようじんハ一せうべんきようをしてをるのににつぽんじんハながくて十ねんばかりきり それからにつぽんへかへつてゆくとせけんのやつがなんにもできないもんですからすぐにひとりてんぐになつてしまいなんニもできないようになつてしまいます わたしもそういふようになつてしまうのかとおもふとみがずうつといたします
 わかれとなりますとかねてせハになつたひとたちにハすこししんもつなんかもしなくつちやなりますまいとぞんじます いろいろとつまらないことニものいりがをゝくまことニこまります ことニよつたらしよもつもゑもすこしハこゝにをいておかなけれバならないようニなるかもしれません まへにかいてをきましたとうりこちらをたつのハどうしても六月のなかごろニなるでしようよ そうするとにほんにつくのハ七月すゑごろニなるでしようよ こんどハまづこれぎり めでたくかしこ
 母上様  新太拝
  せつかくおからだをおだいじニなさいまし もうぢきですよ