本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1893(明治26) 年2月4日

 二月四日附 パリ発信 父宛 封書 (前略)公使野村氏の為ニ此頃描き居候女子のはだかの画ハ次第ニ進み申候 今尚一月程も描き候上一と先教師へ見せ若し気ニ入候へば此の画ヲ共進会へ持ち出す様都合致し度存候 手本雇入代絵具代等は総て野村氏の引受にて私ハ只描クと云丈ニ御座候 其代りニ出来上りたる画は野村氏の物と相成事に御座候 去年よりかきため候画の内上出来の分大小六七枚の額ニふちを附ケさせ申候 之レハ皆御尊公様への御土産ニ御座候(後略) 早々 頓首 父上様  清輝拝

1893(明治26) 年2月16日

 二月十六日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事大元気にて近頃ハ公使館にてかき居候女の画ニのみ骨を折り罷在候 御休神可被下候 未だ教師ニハ見せ不申候得共是非共此の画ハ共進会へ持ち出シ度存し三月十七八日頃ニ開候私立共進会有之候其レへも当年ハ出品支度其手続致置候 此の方ハ金を出シテ会員と為り候上ハ一人ニ付き六枚程も出品出来候事故便利ニ御座候 日本へ帰り候上も毎年かきたるものを此の会ニ送りて西洋人ニ見せ申度存し他日名を為すの種と相成かも知れずと存候 旅費も三月の中ニハ手ニ入り可申候 其金受取次第ニ出立仕こそ当然ニハ御座候得共当年迄当地ニとゞまり候もつまり申せバ共進会の為のみニて有之候間其開会も今一二ケ月と云時に相成みすみす帰るハいかにも残念ニ被思候事ニ御座候 依而甚ぬびぬびして御意ニそむき候様相成候得共せめて共進会への出品の結果の知るゝ迄ハ此処ニ居り度ものニ御座候 御存しの通共進会ハ例年五月ニ開ケ候故三月のなかバから五月のなかバ頃迄と見て二ケ月程の食ヒ込ニ相成次第ニ御座候(後略) 父上様  清輝拝  御自愛専要ニ奉祈候

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