1889(明治22) 年11月29日


 十一月二十九日附 パリ発信 父宛 封書
 十月十九日附之御尊書慥ニ相届き拝読仕候 御全家御揃益御安康之由大慶此事奉存候 七百八十仏の為換券も同じく相届き申候 御安心可被下候 之レニて来月より三ヶ月間即ち来年二月の末迄ハ充分ニ御座候間左様御承知奉願上候
 大分県父上様ニハ今度改革の為非職ニ御成被遊候由さぞ御困りの事と奉遠察候 実ニ役人の職ほど定りなき者ハ有之間敷奉存候 御地ニてハ近頃条約改正ニ付議論盛ニして大騒きの由外国人ニ取りてハ随分面白き見物と奉存候 来年の国会又々一層面白き芝居ならんか何ニしろ我国の開化ハ未ダ欧洲各国の開化の比ニハ無之残念此事ニ御座候 皆々勉強仕り今百年も致し候ハヾ少しハ勢も付き可申奉存候 口よりも業の方第一ニ御座候
 私事五六日前転居候て久米氏と同居仕候 今度の家は間数も三つ有之且つ清潔にして心地よき事に御座候 此処にてハ夏期ニ至りても例の寝台虫の恐れなき事とよろこび罷在候 台所も付き居候間日本料理などニハ便利よろしく候 西洋料理ハ一日一度ニてめしやより取り寄せ余の二度ハ米を食ひ申候 其米ハ日本米ニて久米氏博覧会にて買入置かれ候ものニ御座候 醤油も缶詰の者を沢山買入られ候 之レハ皆私と半分割に致す積に御座候得共私当時余程困窮仕候為皆久米氏より立替置被呉候 仕合の事ニ御座候 めしハ三日目ニ一度位炊きあとハかゆに塩漬の大根或ハ菜等ニテ愉快相極め申候 又時ニハ手鍋の御馳走も戴き候 私困窮の源因ハ博覧会見物として来り候友人との附合の為ニ少し余計の入費有し其後今日迄都合悪しく相成候 併し御心配被下間敷候
 先日川路利恭氏亜米利加へ向ケ出発帰朝の途ニ上られ候 同氏着の上ハ直左右御聞取被下度奉願上候 私かき候油絵よきもあしきも取り交せ工商会社へ頼み御送申上候 之レハ久米氏の荷の中ニ入れ置き候間右荷着の上ハ同氏宿許より御知らせ可申上と奉存候 右油画ハ大小二包みニて小の方ハボアニユビルと申田舍ニテ当夏画き申候 一二枚の外は棄てゝもよき者ニ御座候 余附後便候 早々 頓首
 父上様  清輝
  御自愛専要奉祈候