本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1889(明治22) 年11月8日

 十一月八日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)こゝのこうしくわんづきのおやくにんさまのはちださんといふおかたがわたしにかををかいてくれないかとおつしやいましたからこのごろハたいていまいにちおひるすぎにそのおかたのかほをかきます よいけいこになります またはちださんハまことにかんしんにてゑんぽうのところをかまわずわたしのうちまできてくださいますからまことにしやわせでございます くめさんとさくばんもこんばんも一しよにめしをたいてたべました めしのおかずにはいわしをやいてたべました このほうがせいようりようりよりをたべるよりもよつぽどけんやくになりなりますけれどもめしをたいたりなんかするのにハなかなかひまがかゝりめんどうでございます(中略) わたしはこないだたびからかへつてまいりましてからやつぱりくめさんのうちにとまつてをります このほうがひとりでをるよりもにぎやかでございます このくめさんのうちからわたしのうちまでいくのハちようどうちからかいざかにいくくらいのところでございますからまことにべんりでございます この二十日ごろニかわぢさんがにつぽんへおかへりなさるどうですからそのびんにハなにかわたしのかいたゑをおくつてあげませうとぞんじます どうぞまつていてくださいまし(後略) 母上様  新太

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