1886(明治19) 年4月9日


 四月九日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)わたくしもこの五日の日にこちらにおるにつぽんじんみんなとはぶるといふところにふなおろしをみにまいりました なかなかおもしろいことでございました(中略) なんでもこちらからいつたにつぽんじんがふしみのみやさんやこうしくわんのひとたちをみんなあわせて二十二三にんばかりでした さてはぶるといふところにつくとかいぐんのひとなどがむかいにきておりすぐにばしやにてはぶるだい一といふやどやにまいりました このやどやはうみばたにてまことによいところです わたしはふぢとごうだといふひとと三にんですぐはまべにでてかけあるきました ひさしぶりでうみをみましたからまことにうれしいことでした(後略)
母上様  新太郎より

同日の「久米圭一郎日記」より
2h de l’après-midi j’ai visité S. Naïto après après avoir lui causé quelques heures. je suis allé voir T. Shōdaï avec lui, mais celui-là ne se trouve pas dans la maison, je suis retourné. 7h1/2 du soir j’ai visité K. Takenoouti à Tsoukiji et je suis rentré à 11h1/2.

(和訳)四月九日
午後二時に内藤三郎を訪ね、数時間話したあとともに小代為重に会いに行くが不在で帰る。夜七時半に築地の武内金平を訪ね、十一時半に帰る。

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