1884(明治17) 年9月26日


 九月二十六日附 パリ発信 母宛 封書
 八月十五日の御てがみ九月十九日あいとどき 八月九日の御てがみ につき せんだいはぎのほんさんさつ よこもじのほんさんさつ あざぶのおしげぼんのしやしん九月二十二日あいとゞき まことにまことにうれしく(中略)こちらにてはなをえもんさんもわたしもしごくしごくげんきにてくらしおりますからまづまづごあんしんくださいまし こないだももうしあげましたとうりことしはところがかわりましたせいかいつものかつけせんせいはおいでがなくまことにしやわせいたし候 けれどもおきゆうはやつぱりすゑますからあんしんくださいまし(中略)こちらにおるとにつぽんのこめのめしがくいたいことです またたべようとおもへばいつでもたべられます べんりなことです なぜならやまもとといふあぶらゑをかくひとはげぢよをひとりつかつておりまして三どともこめのめしをたいてたべております そのやまもとさんのうちにゆけばいつでもたべられますけれどもたゞひとつたらないものがございます それはみそです みそのおめつけがたべたいものです こちらはまいにちまいにちせいようりようりのごちそうです こめのめしやみそのおめうつけなんどはそこあたいにでることもできません(中略)
 さくじつひるすぎにぢようだんに父上様のおしやしんをみてゑをかきました すこしもにてはおりませんけれどもまんざらほかのひとゝもみゑませんからおなぐさみのためにおくります わたくしがたつときにちいさなゑのぐいれをもつてはゆくまいとおもつたのをあなたさまがたのしみになるからもつてゆけとぎやつたゆへもつてきましたのがいまはよきたのしみになります わたくしはすこしくゑをかくもんですからゑのけいこをしたらよかろうとすゝめるひとなどがございます(後略)
 日本東京 母上様 ぶじ  仏巴里より 清輝拝

同日の「久米圭一郎日記」より
五時江戸見坂ニ赴クニ不在ナリ乃テ還九月廿六日