1884(明治17) 年8月8日


 八月八日附 パリ発信 母宛 封書
 一ふで申上度候 あつさにもおよわりなくますますます御げんきのはづおんめでたくぞんじあげまいらせそろ みなみなさまもおげんきでしよ めでたし わたくしはいつもげんきにておりますからごあんしんくださいまし さてさる五日よりがつこうはなつのやすみになりましたからすぐにそのひにがつこうからでましてなをよんさんのやどやにまいりました そうして一つのちいさなへやをかりましてたゞいまこゝにおります このげしゆくやはろうるびろんと申まちにてござそろ そうしていへはろくかいです にわもございます なをよんさんのへやは五かいめです わたくしのへやはいちばんうへですけれどもそんなにいへのたかさはたかくはございません いまこのやどやににつぽんじんが四にんおります そんしてめしばかりたべにくるひとがひとりです つがうにつぽんじんが五にんです なをよんさんにわたくしそれからまつがたさん さかもとさんです それからうがわさんといふひとがめしばかりたべにまいります にぎやかなことです このごろはまたあつくなりました きのうなどはあついことあついことあせがでどうしでした けふもあついあついあつい ことしのあつさはめずらしいと申ことです いつもこんなにあついことはないそうです これらはどこかにあつたそうですけれどもだんだんへつてしまうそうです めでたし その御方にてはいかゞですか ことしはあんまりありますまい めでたし わたくしはへやのなかにおるときにはじゆうふくのようなあつくるしいめんどくさいものはきません につぽんのひとへを一まいきております よいことよいことよいこと めしをくひにしたにおりるときばかりじゆうふくをきてゆきます こんなかつてなことはがつこうではできません がつこうではたゞねるまへばかりにつぽんのきものをきておりました やつぱりまいにちまいにちまいにちおきゆうをすへますからごあんしんくださいましよ わたしはこのごろはすこしはこのちになれてまいりましたけれどもはなしはまだできません むずかしいものです かいものなどはいつでもひとりでいたします こんどはたいへんみじかいてがみですけれどもまづこれだけにいたしておきます どうかみなみなさまによろしく あねさんによろしく おゑいさんにべつにあげなければならないはずですけれどもなんにもかくことがありません いくつてがみをかいてもおなじことばかりですよ めで度かしく
 母上様  新太郎
  おからでがだいいちです おしんぱいはおやめです よこやまやたかねがたびたびてがみもやつてくれます からうちにあすびにきたときにはごちそうをしてやつてくださいまし てがみのうらがきはいつでもわたくしがかきます

同日の「久米圭一郎日記」より
午前十時国新来十一時還 午后五時丹羽雄九郎来如例徹宵家君ト対局ス 五時半伊東氏帰 六時御徒士町通学九時半還八月八日