1904(明治37) 年11月3日


 十一月三日
 白瀧ヘ金二百円ノ為替券ヲ送ル 午前笄邸ヘ伺ヒ峯金子借用ノ件及橋口家ニ対スル父上ノ御意見承ル 夜樺山家ニ於テ晩飯ノ馳走ニ預ル 主人側ニハ伯爵父子 来客ニハ樺山資英君 本田幸介君 川村純蔵 拙者共主客合セテ六名ナリ

同日の「久米圭一郎日記」より
天長節で例年より優つた日本晴れで景気がいゝ。今朝八時に支度をして霊南坂下に御通輦を見に行つた。九時少し前に通御を拝す。本年第五十三回の御誕辰といふが中々老年の様子は少しも見へさせられぬ。身体愈肥壮なるを拝するは頼母敷心地す。何れかにブラつく積りであつたがやめにして西の久保を一ト廻りして帰宅す。十一時過に小代来る。豚にじめを一緒に食した。夫から自転車で佐野を訪ふに不在。小泉の方に廻つたが是もお留守仕方がなく日影町をブラツキ芝の苔香園にはいる。彼是して帰つて来る内に紅葉館前で小泉翁にブッツカリ共に帰宅した。夕方になり三人で松金に食事に出掛る。おきよさんという細目白膚の女中のお酌で大分飲む。大串三切れでウンザリする。割り前が一七五は余りお安くもないが天長節の事で仕方がない。何しろ料理屋を見たやうな処で食事をするのは実に久し振りである。夫から一同再び片町に集る。佐野も狸穴坂で出つこわして後に一緒になつた。今日は小泉翁又々大不景気であつた。十一時過散ず。十一月三日 快晴