1905(明治38) 年1月17日 Tuesday


一月十七日 快晴

今日は朝八時から稽古に廻り上野は三時過ぎに終つた。昨今の新聞には長崎に到著して居る旅順降将の話が記されて居る。ステッセルは丁度今日仏国の便船に乗込む筈である。此三週間斗りの間は日記を御不沙汰した。勿論前の一週は風の心地で休んで居たので出来事は少ない。然るに此間に世の中は大活動をやつて僅かに三週日の経過で天下の形勢一変したやうな姿である。即ち露国内の擾乱及び沙河左翼黒溝台附近の会戦の二大事件が生じたのであつて露国の不利益の位置たる事が愈々明らかになつて来た。依て此大切な時期の事を漏すのも残念であるから記臆をたどつて書いて見ようと思ふ。

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例)「1905/01/17 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/872516.html(閲覧日 2024-04-16)