1905(明治38) 年1月15日

朝九時過より目黒に出掛る。父上はお休み中である。少々鼻加答児の気味で沙河軍と同様防禦手段を取るとの事である。豚煮しめにビールの御馳走になる。昼過きになり曹洞宗大学林の生徒が演説を依頼に来たのを相手に講釈が始まつた。三時過に立出でた。其前よねが表のばあさんが近頃不埒の所業がある次第を聞く。そんな風ては到底だめであらうと答へて置いた。帰宅後校友会月報の原稿を書いた。

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