1905(明治38) 年1月31日

一ツ橋から上野出勤、夜菊地来り三、〇〇の負債。黒溝台附近敵襲の公報追々来る。近来の大戦争で我死傷数も七千以上で敵の損害は之に倍するならんとの推測なり。戦争は猶継続したるやうであるが、敵方より動き始めたるは何か余儀なくされた事情あるに相違ない。敵国の擾乱は一ト先つ抑圧されたやうだが困難の事情は減せず。沙河の結果によりては到底戦争は永続する能はざるならんと思はれる。併し露債は較其市価を回復して巴里八十八法位に昇つた。さりとて新規の募債は到底不可能なりとの評判である。

to page top