1904(明治37) 年6月8日 Wednesday


六月八日 水曜 曇

今朝目黒より金次郎が来て生垣きの刈り込みをなす。夏向きの処豁然となつた。宣告の一件今朝中止、徐々教誨を加へ誘導する必要ありと考へた。唯此教誨なる事柄が拙者の天性として最も不得意である事を遺憾とする。教誨は変じて威嚇となる。是れかれをして反抗の意を生ぜしむる所以なれども止むを得ず……。十一時半頃に竹野おかたさんが来て預り物品中蚊帳など夏向きのものを持つて行く。西町の先生此頃は佐賀婦人会で熱心に奔走して居るとの話。なんでも今月十九日とかに永田町の侯爵邸で第一の会合があるとの事。夜は独りで散歩、京橋の辺まで行つた帰りに上方屋に立寄つたが戦争画端書が盛んに売れて居る。該店の売り子の女に姿のいゝのを見た。二ケ所の勧工場をひやかし又愛宕下の通りにては縁日の植木を見たがもう薔薇も過き石竹も末になつて何も面白い花も見当らなかつた。スフアグノンを少々買つて十時半頃帰宅。

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例)「1904/06/08 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871436.html(閲覧日 2024-05-10)

同日の「黒田清輝日記」より
 六月八日 水 如昨日 
 御気力ハ昨日ニ比シ少シク回復セルヲ見ル 又小西氏夕刻来診 御水腫モ幾分カ減退セリト申サレタリ 正午頃父上御入来 御一緒ニ食事ス 中村モ来合セ居リ同席セリ 午後栄子殿来訪 夜食後静子殿来訪 中村ハ九時頃去ル 本日ハ先ヅ下ラナク暮ラシタル日ノ一ナリ 十一時半頃二階へ登ル 夕刻製本師小島ヨリ書物十一冊受取ル 在シカゴ府戸田謙二君ヨリノ信書ニ接ス
六月八日 水 如昨日