本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1893(明治26) 年3月9日

 三月九日附 パリ発信 父宛 封書 一月二十七日附の御尊書並ニ五百円の為換券昨日慥ニ相届申候 其御地皆々様御揃益御安康奉賀候 当年ハ寒さ強く候由当地にても先頃ハ随分きびしきさむさ致し候 セイヌ河に氷が張りつめたるなどハ此年始めて見申候次第ニ御座候 グレ村の方などニてハ雪四尺程も積りたる処有之車の従来ハ一時止まりたる様子ニ承り候 其レニ引かへ此の頃ハ誠ニよきはだもちにて木の芽も少シづゝ出て来り候 残別としてグレ村の侯爵ド・カゾウと申人去六日に私を夜食ニ招き候間即ち一夜泊ニてグレ村ニ差越し申候 田舎に行て見て始めて都住ひの不意気なるを覚申候 なまぬくき日ニ当りながら青みかゞりたる森をながむるなどハ先づ極楽の遊かと被思申候 グレ村ニカナダ国生れの画師一人住居候 妻ハ瑞典人ニテ彫刻の業を心得たる者ニ御座候 夫婦共珍らしき好人物にて私グレ村滞留中も始終深切ニ致し呉れ候 今度帰朝の旨知らせ候処残りをしき事ニ思ヒ紀念として瑞典国産の細工物など沢山呉れ申候 今より三年目位ニハ是非日本へ遊ビニ行などゝ申居候 日本へ来れバどの様ニとも御世話致さんと陳へ置候 公使館にての画も此の週間限りにて描き上げ候都合ニ御座候 独立美術家組合と申私立の共進会へハ六枚程差出シ置申候 来る十七日が開会ニ御座候 其画ハ第一ロアン河辺の雪景 第二波 第三納涼 第四菊 第五秋の園 第六花下美人索句(之レハ日本画の出来そこないと云風の画にていつか新聞紙へ出す画を描き候時見本としてかき候ものニ御座候 只画のみにてハ面白からず存候ニ付吉田義静と申人ニ頼み詩一首書きそへ貰ヒ候) 今度の金にて借銭などさつぱりと片附ケ安心仕考ニ御座候 去る二月十六日附にて申上置候通り五月の共進会迄ハ当地ニとゞまり五月の末か六月の極始メ(御願申上候二ケ月分たし前の金子受取次第)ニ立て米国へ渡りチカゴの博覧会を見物するなどハ此の上も無き好都合と喜居候事ニ御座候 余附後便候也 早々 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要ニ奉祈上候

1893(明治26) 年3月18日

 三月十八日附 パリ発信 父宛 葉書 皆々様御揃益御安康奉大賀候 旅費慥ニ相届候事ハ先便より申上置候 共進会への画教師へ見せ申候処甚ダ気ニ入り候 画風が新らしき故三四年前ニ別レテ新しく出来たる共進会の方へ出す方可然との言ニしたがひ其会の会頭ニ面会 画ヲ見せ意見ヲ聞キ申候処思ヒの外ほめられ仕合の議ニ御座候 二三ケ処直す処など示し呉れ申候 来る二十五日が出品の期日ニ御座候得共二十七日迄日延の特許なども貰ひ得る事ニ相成候 此の画ハ先ヅ受ケ取られる事ニ違ヒ無シト申てもよろしき位ニ御座候 たとへ受取られずとも会頭及ヒ教師の気ニ入りたる丈ニてもうれしき儀ニ御座候 其会頭と申人ハ七十計の老人にて名ヲピユビス ド シヤバヌと申候て仏蘭西一と申画師ニ御座候 外の小さな一と通りの画師ハ数百年の後ニ至れバ大抵皆消失せ行事必せりと云ても此のピユビス先生丈ハ独り十九世紀から二十世紀へ掛ケテノ画師の親方としてのこるなる可しと評判致候

1893(明治26) 年3月26日

 三月二十六日附 パリ発信 母宛 封書 二月十一日つけのおてがみさくじつこうしくわんにてたしかニうけとりました みなみなさまおんそろひごきげんよくおんくらしのよしおんめでたくそんじあげます わたしハからだハまことニげんきでございますけれどこのごろのいそがしさハまことニへいこうでございます きようしんくわいのことばかりならともかくもいまニかへつていかなけれバならないといふおゝしごとがあるもんですからどうもどうもきがおちつかずせわらしいことでございます きようしんくわいニだしますゑハ二つともとうとうけふぎりでできあがりましたからあしたにんそくをたのんできようしんくわいのほうへおくつてやるつもりです 二まいともふらんすで一ばんといふゑかきのぴゆびす ど しやばぬといふぢいさんにみてもらひましたらたいそうほめられましたからたぶんこんどハきようしんくわいにうけとらるゝことだろうとおもつてをることでございます さてかへつてゆくことゝなつてみるといろいろつまらないようじができてまいります まあどうしてもこちらをたつのハ六月のなかばごろニなるだろうとぞんじます こないだからひらけてをるちいさなきようしんくわいに六まいほどゑをだしてをきましたらある三ツ四ツばかりのしんぶんしににつぽんじんのくろだといふやつがせいようゑをかくだのなんのかんのとかいてありましたよ もう四五ねんもこつちにをつたならすこしハせけんにしられるようになるかもしれませんがざんねんです いまこれからといふときになつたところでかへつていくのですからかなしいもんです だがしかたハございません につぽんへかへつてからてがさがらなけれバよいがとおもつてをります せいようじんにまけんようにやろうといふのハむづかしいもんです せいようじんハ一せうべんきようをしてをるのににつぽんじんハながくて十ねんばかりきり それからにつぽんへかへつてゆくとせけんのやつがなんにもできないもんですからすぐにひとりてんぐになつてしまいなんニもできないようになつてしまいます わたしもそういふようになつてしまうのかとおもふとみがずうつといたします わかれとなりますとかねてせハになつたひとたちにハすこししんもつなんかもしなくつちやなりますまいとぞんじます いろいろとつまらないことニものいりがをゝくまことニこまります ことニよつたらしよもつもゑもすこしハこゝにをいておかなけれバならないようニなるかもしれません まへにかいてをきましたとうりこちらをたつのハどうしても六月のなかごろニなるでしようよ そうするとにほんにつくのハ七月すゑごろニなるでしようよ こんどハまづこれぎり めでたくかしこ 母上様  新太拝  せつかくおからだをおだいじニなさいまし もうぢきですよ

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