本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1890(明治23) 年4月3日

 四月三日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)こないだからかきかけてをりますおんなのゑもたいていかきとりました しかしまだすつぱりハすみませんよ せんじつそのゑをせんせいにもつていつてみせましたらかなりよくできたとほめられましたからうれしいことでございます(中略) みようにちからまたむかしのひとのかいたゑをうつすつもりです もう三しゆうかんもしたらいなかにいつてべんきようしようとぞんじます このなつのはじめからあきへかけてなにかすこしみのいつたゑをかこうとぞんじます(後略) 母上様  新太

1890(明治23) 年4月11日

 四月十一日附 パリ発信 父宛 葉書 益御安康奉大賀候 私事大元気三四日前より又新ニ一の額面相始メ毎日午後ハ其方ニ費し申候 午前ハ矢張学校ニて勉学罷在候間御休心可被下候 当年ハ大憤発仕金ニかまわず思ふたる画をかき度きものと奉存候 学資も今少々計ニ相成候 早々 頓首 父上様 清輝

1890(明治23) 年4月17日

 四月十七日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃御安康之筈奉大賀候 次ニ私事大元気にて勉学罷在候間御休神可被下候 前便より申上候通り先日中よりかきかけ居候女琵琶を持ちたる図ハ殆んど出来上り候間今一つ新図相始メ申候 今度のものハ前者ニ比すれバ少しハ大きく趣向ハ(将に目をさまさんとする)と云積ニて女がねながら目をこすり居る体をかき申候 当地にてハ人の体を以て何ニか一の考を示す事有之候 先づ私の教師の画を見ても春と云様なる題にて草花の咲き出て居る中ニ丸はだかの美人がねて居りながら何ニ心なく草葉を取りて口ニくわへたる様をかき又夏の図として数多の女が園中にて或ハ花を摘み或ハそれを頭ニかざしねたるもあれバ立たるも有り又池中ニ遊び居る者もありと云画をかき候 此等の図ハ余程気分高尚ニして且筆がよくきゝ候ハでハ出来難き者ニ御座候 画学中最もむづかしき者ハ人物にて人物も衣を被たるよりハハだかの方一層むづかしく候 学校などにても常ニ裸体を用ひ申候 画かきが画をかくは学者が文章を作ると同じく自分の考を人ニ見せる事なれバ己の精神が高尚ニ非ざる以上ハ兎ても立派な画の出来る道理無御座候 一寸考へ候時ハ裸体の人物と云てハ甚だ不体裁な者の如く有之候得共之レハ全く俗人の考にて其考こそ却而不体裁なる者ニ御座候 凡そ天地間の生物中人間程奇麗ニよく出来居る者ハ有之間敷候 而其人間中の最も完全なる者を見る時ハ此の上もなき愉快を覚る事花の最も美なる者を見るよりも一層の事と奉存候 教師が美人を画て春と題したるを心得なき人ハ見て只草の上ニはだかの女がねころび居るかなと思ひ熱帯地方の野蛮人ハともかくも欧洲などにて女が裸体にて芝原ニ臥すると云事ハなしなどゝ色々馬鹿な評を下す可く候 併し教師ハ春の心地を画きたるにて今咲き初めたる花と云様な美人の体を画きたる也 即ち此の春ハ人の精神中ニのみ存する春にして教師と同じ感じを持ちたる人が此の図を見る時ハ云ニ云ハれぬ愉快を覚る事ニ御座候 今度の画ハ少なくも尚二十日位ハかゝり可申候 学校にての早がきとハ違ひ思ふ儘ニ手を入れ勉強致し候間面白き事限り無御座候 昨年の末より当年ニかけ筆も少しく進み教師も至極満足の様子仕合の事ニ御座候 右の外両三の趣向思ひ付候間是非当年中大憤発仕来春の共進会の為何ニか作り出し度奉存候 それニ付てハ物入も少なからざる可く併し入用丈ハ頂戴仕度此段偏ニ奉願上候 手本雇入代の高き事ニハ実ニ閉口の至ニ御座候 幸にして教師雇付の手本手ニ入候間仕合の次第ニ御座候 当地ニハ手本を業と致し居者多く有之候得共よき手本ハ至而少なく善き手本となれバ大抵皆教師等如き上手の雇付けと相成なかなか諸生の手ニハ落ち不申候 気候も段々よろしく相成候 当月の末か来月の始メニハ又々田舍ニ出掛ケあまりあつくならぬ内ニ下画を沢山かき度ものと考居申候 先般手本代として御送り被下候百円仏貨ニして四百仏計も殆んど盡き今公使館ニ残り居学資金の高ハ二百仏か二百五十仏計ニ御座候 若し為換到着前ニ欠乏致し候時ハ致し方無御座候間友人よりなりとも借金仕勉強の方ハ今の儘ニて続け申度奉存候 尤も気分の進み居る内ニ仕事する方徳用ニ御座候 頓首 父上様  清輝  御自愛専要奉祈候

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