本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1888(明治21) 年7月5日

 七月五日附 パリ発信 父宛 封書 (前略)来週より人ヲ雇ヒ画かきを始る積ニ御座候 此ノ画出来上り候ハヾ文蔵様日本へ御持帰リ之筈ニ御座候 油絵ハ余程気長ニ勉強せずんバ成業むづかしく候 父上様  清輝拝

1888(明治21) 年7月13日

 七月十三日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)このごろはひとをうちにやとつてゑをかいてをります このゑハぶんぞうさんがもつておかへりなさるはづです うちにひとをやとひますとなかなかおかねがいります こまつたものですけれどもけいこになりますからよろしゆうございます(後略)

1888(明治21) 年7月20日

 七月二十日附 パリ発信 父宛 封書 益御安康之筈大慶至極ニ奉存候 私事大元気にて今度借入申候画部屋ニテ勉強罷在候間御休神可被下候 文蔵様ニハ未ダ独乙伯林府御滞在ニテ御壮健之由御安心可被下候 当年ハ気候余程涼しく夏の様な心地不仕候 併し毎日の降雨ニは閉口ニ御座候 先日着相成候日本一と申彫刻師大熊氏広氏当時私と同宿ニテにぎやかに相成愉快なる事ニ御座候 同氏ニハ来る十月頃より伊太利見物ニ出掛らるゝ積 実ニ伊太利の如きハ天下一の美術国故名所古跡等至而多ク仏国よりも毎年諸生ヲ送り古画などヲ写サしむる程にて私も是非一度ハ学問の為メ右伊太利国及ひ美術の母と称へ候希臘国ノ内地ヲ心の儘ニ遊歴致し度ものと存候(後略) 父上様  清輝拝

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