本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1886(明治19) 年4月9日

 四月九日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)わたくしもこの五日の日にこちらにおるにつぽんじんみんなとはぶるといふところにふなおろしをみにまいりました なかなかおもしろいことでございました(中略) なんでもこちらからいつたにつぽんじんがふしみのみやさんやこうしくわんのひとたちをみんなあわせて二十二三にんばかりでした さてはぶるといふところにつくとかいぐんのひとなどがむかいにきておりすぐにばしやにてはぶるだい一といふやどやにまいりました このやどやはうみばたにてまことによいところです わたしはふぢとごうだといふひとと三にんですぐはまべにでてかけあるきました ひさしぶりでうみをみましたからまことにうれしいことでした(後略)母上様  新太郎より

1886(明治19) 年4月23日

 四月二十三日附 パリ発信 父宛 封書 (前略)当地気候全ク春ニ相成申候 此頃ハパークト申当地ノ大祭ニテ諸学校等二週間程ノ休業有之候 私ノ居ル学校ハ明土曜日より休ニ相成来週中ハ休業ノ事ニ御座候(中略)我塾長ミルマン氏ハ昨日出発フヲンテヌブロート申当地有名ノ絶景ノ地ニ罷越し候 妻君モ同ジク同地ヘ向ケ明日出発するとの事ニ御座候 私モ此ノ休中ニハ遠足デモせんかと独り考ヘ居申候(後略) 父上様  清輝拝〔図 写生帖より〕

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