本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1884(明治17) 年2月11日

 二月十一日附 香港発信 父(清綱)宛 封書 寸紙謹呈仕候 益御安康之筈奉大賀候 私儀海上無事八日午前七時当地ニ安着仕候間乍憚御休神可被下候 扨テ船中ハ万事直右衛門様御世話ヲ以テ都合宜敷七日間中等室ニテ起臥仕候 着港スルヤ直ニ領事館ニ至リ書記生平都氏之案内ヲ以テホンコンホテルト名クル旅店ニ止宿仕候 同夜領事館ニ於テ日本料理之馳走有リ 昨日ハ東京寿し本日ハ鹿児島寿し之馳走有リ候 当地ハ日本ニ近キニ依リ日本之物ニハ不自由無之候 此ノ香港ト申所ハ桜島ヨリ少々大ナル島ニテ市街等ハ美麗ニハ無之候得共皆三四楷也 通路ハ大抵阪也 是山麓ニ家屋ヲ建築セシ如キ処ナルヲ以也 委細ハ写真ニテ御一覧可被下候 此地ニテ第一ノ驚愕ハ八日橋口氏ト断髪セシ所其賃金八十銭余九十銭計但シ一人分ニテ実ニ閉口仕候 清仏一件ハ未ダ戦場之様子無之由ニ御座候 当港ニハ仏軍艦数個定泊致シ候 領事町田氏ノ話ニ広東ニ於テハ彭玉〓ト云大将砲台等ヲ築キ軍備ヲ為ス由 此ノ彭玉〓ハ主ニ戦家ニシテ衣食ヲ飾ラズ極テ質朴ナル人也ト云 町田氏ハ小生等着セシ時ハ広東ニ行シ旨ニテ不在 二三日前帰館セラレシ故氏ノ話ハ実説ニ可仕候 先ハ安着御報迄 早々 頓首 父上様 下ノ父上様 叔父様 平信  清輝拝

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