1885(明治18) 年2月6日


 二月六日附 パリ発信 父宛 封書
 一書拝呈仕候 暖気相催候処御全家御一同様御揃御壮康之筈大慶奉存候 降而私儀不相変小学校中ニ勉学罷在候間御放念可被下候 光陰如矢已ニ満一年ニ相成候得共思ひの外語学之上達セサルニハ実ニ閉口此事ニ御座候 併し此頃ハ少しく欧洲之風ニ慣レシ心地仕候 来年よりは是非共専門学致し度ものと心算罷在候 橋口氏も御壮健ニて御勤務被遊候間左様御承知被下度候 又同氏は当公使館会計主任トカラ外務省より被仰付近頃余程事務御繁忙之由承候 独逸荒木氏方より一月中旬頃年始状到来 序之節御尊公様宜敷申上呉れとの伝言ニ御座候 又一月三日ニハ独逸国ニテ日本留学生の新年宴会の催シ有リ 其節日本料理ニテ其跡ハ各自持ち寄りし物品ヲ以テ福引ヲ為し近年に無キ盛会也シ由 又新年宴会は今年ヲ以テ初会トスルトノ趣申来リ候 当地ニハ少シモ珍事無御座候 気候は此ノ一週間位前より一変シ当時少シク暖気ニ御座候 又此ノ頃ハ先キ頃ニ比スレバ天気よき方ニ御座候
 御催促申上候ニハ無御座候得共良キ新聞紙有之候ハヾ御送り被下度偏ニ奉願上候 決シテ急ク訳ニハ無御座候間左様御承知被下度候 先便より写真差上可申旨母上様迄申上置候得共未ダ出来不申依テ次便より御送リ可申上候 先は御左右伺迄 草々 不具
 父上様 平信  清輝拝