1904(明治37) 年8月9日


 八月九日 火
 十日祭執行

同日の「久米圭一郎日記」より
今朝は早起きをして八時半に昼飯を済し、それから小代を誘ひ、電車で大井村の海岸に家を借りて居る礒谷の処に涼みに行く。彬及こまも同道した。到着すれば磯谷は留守で静岡の甥御という先の光太郎が居た。直様海に飛込んだが水は浅いので女小供には妙である。蜊蛤なんかを足でさがし大喜び、昼は蟹の御馳走なり、昼後も寝転んだり水へ入つたりで過し、其内に主人も帰つて来た、米利堅式蛮カラアも来た、風は中々涼処なる、小鯵の酢のもので晩飯も甘かつた。一日の保養を遂げて八時過から元の電車で帰つた。八月九日 晴