1905(明治38) 年4月24日 Monday


四月廿四日 晴

朝は一ツ橋専攻部は総欠で待ち損である。夕方に小代が来てロールチェーヌが見つからないといつて弱つて居た。局外中立問題がやかましくなり日本よりの抗議其功を奏して波羅的艦隊は愈々カムラン湾を立去つたらしい。是から先は何れに向ふか分らぬが多分とこかで第三艦隊を待合すならんとの評判であるが何しろ予想した程に早く埒明きそうには思はれぬ。

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例)「1905/04/24 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/872901.html(閲覧日 2024-05-19)